KNOW THE LEDGE / BRING BACK OF DUNK MID

20年ぶりにリリースされるDUNK MIDを迎え入れるにあたって必要なのは、オリジンに対するエディケーションと、新しい解釈。blue roomのオーナー、羽月基と編集者、小澤匡行のクロストークには、かつてストリートに沸き起こった大きなDUNKブームを振り返ることによって得ることができる知見と刺激を咀嚼しつつ、時代を覗き込むフィルターを現代の角度から作るヒントが詰まっている。本編はUNIONとSNKRSのみで発売されるDUNK MIDの復刻について。第二回はその続編として、二人が考察する2000年代のカルチャーをテーマに構成していく。
Text:MANUSKRIPT

羽月基 / blue room オーナー @blue_room___
1990年代〜00年代のストリートウェアなどを主に取り扱い、当時のファッションやカルチャーをリアルタイムで通っていないなりの解釈で提案。当時の熱量を新しい世代に伝えるショップ「blue room」のオーナー。

小澤匡行 / 編集者 @moremix
2016年に『東京スニーカー史』(立東舎)、2017年に『SNEAKERS』(スペースシャワーネットワーク)の日本版を監修、2021年に『1995年のエア マックス』(中央公論新社)を上梓。ストリートと社会経済を結びつけながら、スニーカーカルチャーを編纂。



―今日のお題は「DUNK MID」ですが、まずはDUNKそのものについて聞かせてください。まず羽月さんにとって、90年代後半くらいから発展した東京のストリートにおけるDUNKの関係性って、どういう風に見えているんですか?

羽月:リアルな経験から言うと、DUNKはスケートシューズって認識です。後追いでどういう歴史かを勉強して、いろいろ知った感じですね。

小澤:と、いうと初めて買ったDUNKは何ですか?

羽月:SBでした。文化服装学院に入学した2015年頃が僕の中で最もDUNK熱が高かった時で、実際にスケートしていました。

小澤:世間のいわゆるリバイバルより少し早いですね。時代感的にはAIR MAXとかの方が盛り上がっていた頃じゃなかったかな?

羽月:そうですね。JORDANとかAIR MAXでした。ちなみにその頃のスケートシューズはSTEFAN JANOSKIが人気で、僕もJANOSKIを履いた後にDUNKに出会いました。

小澤:それは正しい流れですね。薄くてレトロなスタイルに回帰したJANOSKIは、それまでの分厚いスケートシューズの流れを落ち着かせた意味で革新的でした。

羽月:で、そのJANOSKIが藤原ヒロシさんのfragmentのコラボだったんです。その時はヒールのサンダーロゴの意味がよくわからなかったのですが、調べるうちに興味を覚えて。するとDUNKにたどり着くんですよ。

小澤:実際にスケートで履いていたミシガンのDUNKが有名ですしね。

羽月:あの本を読んで、オリジナルカラーであることを知りました。

小澤:とても興味深いです。僕にとってDUNKは、ヴィンテージバッシュのアイコンでした。始めて知ったのは93年頃だから、スケートの文脈はまだ存在していなかった。同じ85年製でいうと、価値で並べるなら「AIR JORDAN 1<DUNK<TERMINATOR」といった序列。今思うと発売されて8年しか経っていないのに、崇められぶりはすごかったですね。そしてオリジナルカラーしかこの世に存在していない。99年になった頃にOGの復刻が出て、裏ダンクと呼ばれる反転カラーが時差なく出て、カラバリが増えていった。



―その頃からDUNKブームが始まったイメージですか?

小澤:売れたカラーもあったけど、ってくらいで、アウトレットにかなり流れていたと思います。並行輸入のショップとかは、そこから買い付けて、時間が経ってから売ってたんじゃないかな。まだDUNKって結局ヴィンテージの文脈で、復刻に理解を示す人はマイノリティだったかも知れない。

羽月:小澤さんが今日履いているDUNKはその頃のですよね。

小澤:99年かな。それこそ裏ダンクの流れの中で出た黒×パープルで、ヒロシさんのフィルターを通してストリートカルチャーにDUNKが扱われるようになった象徴的なカラーだったと思いますよ。僕もそれから古着店のショーケースを眺めるのではなく、スニーカー店で新品を探すようになりました。

羽月:その頃のDUNKって雑誌の後ろの通販ページに小さくたくさん載っているイメージです。

小澤:SBが出るのはまだ少し先で、その前にDUNK LOW PROという、SBの前身というか、プロトタイプがいくつか出ました。シュータンが厚くて、低重心(LOWPROFILE)の設計で。その頃僕はアメリカに住んでいて、あまり売っているのを見かけなかったんですが、UNIONには売っていたんですよ。

―90年代後半はアメリカでもDUNKはあまり売れなかったとクリスも話していました。自分たちがクールに着こなしてスケートの文脈を踏んでいけば、DUNKがもっと売れるはずだと確信していたらしく、安いセール品をたくさん買い込んで売っていたみたいです。

小澤:まだNIKEと直接取引しているリテーラーじゃなかったんですね。僕もクリスの接客でDUNKを買ったのを覚えています。そもそもDUNKをどう合わせるかなんてルールは存在したなかったけどUNIONの提案は特殊でした。ちょっと王道から外れたUKらしいカラーリングのアウトドアに、ローカルなグラフィックTシャツを中に着て、古着のリーバイスとか合わせるみたいなイメージがありました。2000年前後ですね。その後、UNIONのショーケースはAIR FORCE 1のカスタムに変わっていったような。320ドルとかで売っていて、すごく輝いて見えました。

羽月:DUNKとAIR FORCE1って、同じ扱いではなかったですよね?

小澤:AIR FORCE1はラグジュアリーな方に走りつつ、バスケを超えた幅広いカルチャーと結びつきました。DUNKはその後、SBが2002年に発売さあれて、スケートの文脈でストリートを盛り上げました。その二軸を良い意味で一つにまとめたのが、やっぱり藤原ヒロシさんだった気がする。

羽月:昔はこのブランドとこのブランドを合わせるのはタブーみたいな暗黙のルールがあったように、その靴にその格好はなしでしょ、みたいなのがあったと思うんです。

小澤:今はそういう空気はないですよね。

羽月:その時代の中で、ヒロシさんって中立というか、ラグジュアリーなエルメスを着れば、STUSSYも着る。それを同じ雑誌のページで紹介するようなフィルターに僕はすごく影響を受けたんです。
小澤:大袈裟ではなく、あの頃はそこを通さなかったら、逆に何も見えてなかった時代かも知れないですよ。htmが出たのは2002年頃だったかな。その高級志向にNIKE全体のマインドが引っ張れるように、ちょっといい素材とか、特別なカラーには「PREMIUM」という冠がモデル名に頻繁に付くようになったんです。それがCO.JPとかQS(クィックストライク)で限定的に発売されるから、より「価値のあるもの」として認知された。ネーミングに惑わされる戦略的なマーケティングにストリートが動かされ始めた、とも言えます。



羽月:DUNK MIDが出ていたのもその頃ってことですよね。どうして生まれたんですか?

小澤:そこはさっきの話とは別の流れだったかと。普通にPRルームでサンプルを見せてもらって、リースした記憶があります。確かサンプルはベルクロが付いていたんですが、製品化されたときはなくなってました。バッシュって、基本的にミッドって一番最後に出てくるんですよね。バスケットボールシューズだから、HIが出て、LOが出て。その後にストリートでの汎用化を狙って中間のMIDが出る。僕の世代にとってはヒップホップのカルチャーにとって欠かせないピースだったAF1は、90年代に遅れて発売されたMIDが普及に大きく貢献したし、AJ1だって2000年代に入ってから出て。これはオリジナル第一主義にとっては別物に捉えられるけど、一般的に浸透したのはMIDの存在が大きい。DUNKも最初はそこを狙ったんじゃないかな。

羽月:実際にどんな層が履いていましたか? 当時DUNKを履いている人が乗り換えていたんですか?

小澤:知る人ぞ知るモデルって感じで、ひっそりしていました。当時、僕も20代半ばだったけど、いろんな欲しいスニーカーが増え過ぎて、DUNK MIDに手を出す余裕がなかったのが正直なところ。

羽月:DUNK MIDってSBで出ているイメージがあります。

小澤:インラインで数色発売されたけど定着せず、その後にSBで出ました。こうしてサンプル見ると、履き口のカットが某シューズによく似ている。ハーフっぽい感じが、スケートに向いていたのかも。

羽月:たしかにちょうどいい高さな気がします。

小澤:で、SBになるとまたストラップが復活するんですよ。初期はメディコム トイとのコラボでも出ていたし、2000年代後半にはルイス・マーネルがウィートカラーのMIDを履いていて、追悼モデルが5年くらい前に発売されてたりしましたね。ちなみに今回の復刻?はキャンバス素材ですが、どう思いますか?

羽月:キャンバスはそれこそヒロシさんがやっていた『Cutie』の連載「HFA」で紹介していたキャンバスのAF1と同じ年代の物を買って、いまも大事に履いています。その影響もあってか、かっこいい人があえて捻くれて選ぶのがキャンバスってイメージなんです。ボロボロになってもかっこいいし。擦れて、穴が開いたりしてもいいというか。

小澤:なるほど、確かにそう思うとスケート向きですよね。しかも当時は随分と安くて、1万ちょっとで買える廉価版って扱いだったけど、どこにでも売っているわけじゃなくて、僕は原宿の並行輸入店で買う靴ってイメージでした。ヒップホップ的な文脈でヒットしたから、印象もよかったです。

羽月:レザーよりもお金がかからないからですか?

小澤:はい、しかも関税がかからないから、安く輸入できました。ブルーにイエローのスウッシュとか、黒にシルバーのスウッシュとか人気があって高かったけど。



―DUNKのキャンバスも過去にありましたか?

小澤:あまり見た記憶はないけど、SBでは多かったんじゃないかな。ホワイトダンクやパリダンクもそうだし、FUTURAのSBも紙幣がプリントされた部分はキャンバスでしたよね。キャンバスってグラフィックアーティストが作品を載せるアートの下地でもあるから、スケートカルチャーを表現するSBとは相性が良いと思います。

羽月:ミッドでキャンバスってなると、ここから何でもできんじゃんって感じしますよね。何を合わせてもいいし、履きやすいし、ボロボロになってもかっこいい。他のDUNKよりも想像が膨らむ点では、良い意味での敷居の低さを感じます。

小澤:僕らの世代って、カスタムはアップグレードと同義になってしまうんですよ。メルセデスのAMGみたいに。だけど本来は幅広い自己表現のメソッドであるべき。OG世代のラグジュアリーな感覚だけを汲み取ってしまうと高止まりしちゃうというか。SBから入った羽月くんの世代だったら、DUNK MIDでキャンバスという組み合わせをプラスに解釈できると思うんです。

羽月:大事に履くのではなく、履き潰すためのDUNKですね。

小澤:それもヒロシさんが持っている側面の一つですよね。それが一番おしゃれな気がします。90年代のヴィンテージ、裏原宿のムーブメントを経験したことは耐え難い経験だけど、そのせいで僕たちはOGカラーの呪縛から抜け出せないでいる。価値を次の世代に引き継ぐことも大事だけど、それはあくまでインスピレーションであって、新しく作ってもらえた方がカルチャーは面白い。履き方とかも含めて。

羽月:懐かしい世代もいれば、これ見たことないって人もいる。そういう層に好きなように履いてもらえたらいいなって気がします。



NIKE DUNK MID
2004年にリリースされたDUNK MIDはわずか数年の展開となり、その遺伝子はNIKE SBに継承され、ズームエア及びストラップが搭載されたスケート仕様として現在も継続。今回はインラインでは省略された幻のミニマルデザインが国内のリテール展開は UNION TOKYO&OSAKA EXCLUSIVE のみでリイシュー。アースカラー&モノトーンの対照的なカラーリングとヴィンテージライクなエイジングが期待できるキャンバスでアレンジされた。新鮮なMIDカットは、ボトムスのボリューム及びレングスを問わない有用性の高いシルエットが特徴。


NIKE DUNK MID
¥14,300
COLOR:SAIL/BLACK-SAIL-BLACK
SIZE:26.0cm - 29.0cm


NIKE DUNK MID
¥14,300
COLOR:COCONUT MILK/VIVID ORANGE-CELESTIAL GOLD
SIZE:26.0cm - 29.0cm

Release Date
2023/5/12 (FRI)
UNION TOKYO ONLINE STORE:9AM JST
UNION OSAKA STORE OPENING HOUR:11AM JST
UNION TOKYO STORE OPENING HOUR:12PM JST


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20年ぶりにリリースされるDUNK MIDを迎え入れるにあたって必要なのは、オリジンに対するエディケーションと、新しい解釈。blue roomのオーナー、羽月基と編集者、小澤匡行のクロストークには、かつてストリートに沸き起こった大きなDUNKブームを振り返ることによって得ることができる知見と刺激を咀嚼しつつ、時代を覗き込むフィルターを現代の角度から作るヒントが詰まっている。本編はUNIONとSNKRSのみで発売されるDUNK MIDの復刻について。第二回はその続編として、二人が考察する2000年代のカルチャーをテーマに構成していく。
Text:MANUSKRIPT

羽月基 / blue room オーナー @blue_room___
1990年代〜00年代のストリートウェアなどを主に取り扱い、当時のファッションやカルチャーをリアルタイムで通っていないなりの解釈で提案。当時の熱量を新しい世代に伝えるショップ「blue room」のオーナー。

小澤匡行 / 編集者 @moremix
2016年に『東京スニーカー史』(立東舎)、2017年に『SNEAKERS』(スペースシャワーネットワーク)の日本版を監修、2021年に『1995年のエア マックス』(中央公論新社)を上梓。ストリートと社会経済を結びつけながら、スニーカーカルチャーを編纂。



―今日のお題は「DUNK MID」ですが、まずはDUNKそのものについて聞かせてください。まず羽月さんにとって、90年代後半くらいから発展した東京のストリートにおけるDUNKの関係性って、どういう風に見えているんですか?

羽月:リアルな経験から言うと、DUNKはスケートシューズって認識です。後追いでどういう歴史かを勉強して、いろいろ知った感じですね。

小澤:と、いうと初めて買ったDUNKは何ですか?

羽月:SBでした。文化服装学院に入学した2015年頃が僕の中で最もDUNK熱が高かった時で、実際にスケートしていました。

小澤:世間のいわゆるリバイバルより少し早いですね。時代感的にはAIR MAXとかの方が盛り上がっていた頃じゃなかったかな?

羽月:そうですね。JORDANとかAIR MAXでした。ちなみにその頃のスケートシューズはSTEFAN JANOSKIが人気で、僕もJANOSKIを履いた後にDUNKに出会いました。

小澤:それは正しい流れですね。薄くてレトロなスタイルに回帰したJANOSKIは、それまでの分厚いスケートシューズの流れを落ち着かせた意味で革新的でした。

羽月:で、そのJANOSKIが藤原ヒロシさんのfragmentのコラボだったんです。その時はヒールのサンダーロゴの意味がよくわからなかったのですが、調べるうちに興味を覚えて。するとDUNKにたどり着くんですよ。

小澤:実際にスケートで履いていたミシガンのDUNKが有名ですしね。

羽月:あの本を読んで、オリジナルカラーであることを知りました。

小澤:とても興味深いです。僕にとってDUNKは、ヴィンテージバッシュのアイコンでした。始めて知ったのは93年頃だから、スケートの文脈はまだ存在していなかった。同じ85年製でいうと、価値で並べるなら「AIR JORDAN 1<DUNK<TERMINATOR」といった序列。今思うと発売されて8年しか経っていないのに、崇められぶりはすごかったですね。そしてオリジナルカラーしかこの世に存在していない。99年になった頃にOGの復刻が出て、裏ダンクと呼ばれる反転カラーが時差なく出て、カラバリが増えていった。



―その頃からDUNKブームが始まったイメージですか?

小澤:売れたカラーもあったけど、ってくらいで、アウトレットにかなり流れていたと思います。並行輸入のショップとかは、そこから買い付けて、時間が経ってから売ってたんじゃないかな。まだDUNKって結局ヴィンテージの文脈で、復刻に理解を示す人はマイノリティだったかも知れない。

羽月:小澤さんが今日履いているDUNKはその頃のですよね。

小澤:99年かな。それこそ裏ダンクの流れの中で出た黒×パープルで、ヒロシさんのフィルターを通してストリートカルチャーにDUNKが扱われるようになった象徴的なカラーだったと思いますよ。僕もそれから古着店のショーケースを眺めるのではなく、スニーカー店で新品を探すようになりました。

羽月:その頃のDUNKって雑誌の後ろの通販ページに小さくたくさん載っているイメージです。

小澤:SBが出るのはまだ少し先で、その前にDUNK LOW PROという、SBの前身というか、プロトタイプがいくつか出ました。シュータンが厚くて、低重心(LOWPROFILE)の設計で。その頃僕はアメリカに住んでいて、あまり売っているのを見かけなかったんですが、UNIONには売っていたんですよ。

―90年代後半はアメリカでもDUNKはあまり売れなかったとクリスも話していました。自分たちがクールに着こなしてスケートの文脈を踏んでいけば、DUNKがもっと売れるはずだと確信していたらしく、安いセール品をたくさん買い込んで売っていたみたいです。

小澤:まだNIKEと直接取引しているリテーラーじゃなかったんですね。僕もクリスの接客でDUNKを買ったのを覚えています。そもそもDUNKをどう合わせるかなんてルールは存在したなかったけどUNIONの提案は特殊でした。ちょっと王道から外れたUKらしいカラーリングのアウトドアに、ローカルなグラフィックTシャツを中に着て、古着のリーバイスとか合わせるみたいなイメージがありました。2000年前後ですね。その後、UNIONのショーケースはAIR FORCE 1のカスタムに変わっていったような。320ドルとかで売っていて、すごく輝いて見えました。

羽月:DUNKとAIR FORCE1って、同じ扱いではなかったですよね?

小澤:AIR FORCE1はラグジュアリーな方に走りつつ、バスケを超えた幅広いカルチャーと結びつきました。DUNKはその後、SBが2002年に発売さあれて、スケートの文脈でストリートを盛り上げました。その二軸を良い意味で一つにまとめたのが、やっぱり藤原ヒロシさんだった気がする。

羽月:昔はこのブランドとこのブランドを合わせるのはタブーみたいな暗黙のルールがあったように、その靴にその格好はなしでしょ、みたいなのがあったと思うんです。

小澤:今はそういう空気はないですよね。

羽月:その時代の中で、ヒロシさんって中立というか、ラグジュアリーなエルメスを着れば、STUSSYも着る。それを同じ雑誌のページで紹介するようなフィルターに僕はすごく影響を受けたんです。
小澤:大袈裟ではなく、あの頃はそこを通さなかったら、逆に何も見えてなかった時代かも知れないですよ。htmが出たのは2002年頃だったかな。その高級志向にNIKE全体のマインドが引っ張れるように、ちょっといい素材とか、特別なカラーには「PREMIUM」という冠がモデル名に頻繁に付くようになったんです。それがCO.JPとかQS(クィックストライク)で限定的に発売されるから、より「価値のあるもの」として認知された。ネーミングに惑わされる戦略的なマーケティングにストリートが動かされ始めた、とも言えます。



―その頃からDUNKブームが始まったイメージですか?

小澤:売れたカラーもあったけど、ってくらいで、アウトレットにかなり流れていたと思います。並行輸入のショップとかは、そこから買い付けて、時間が経ってから売ってたんじゃないかな。まだDUNKって結局ヴィンテージの文脈で、復刻に理解を示す人はマイノリティだったかも知れない。

羽月:小澤さんが今日履いているDUNKはその頃のですよね。

小澤:99年かな。それこそ裏ダンクの流れの中で出た黒×パープルで、ヒロシさんのフィルターを通してストリートカルチャーにDUNKが扱われるようになった象徴的なカラーだったと思いますよ。僕もそれから古着店のショーケースを眺めるのではなく、スニーカー店で新品を探すようになりました。

羽月:その頃のDUNKって雑誌の後ろの通販ページに小さくたくさん載っているイメージです。

小澤:SBが出るのはまだ少し先で、その前にDUNK LOW PROという、SBの前身というか、プロトタイプがいくつか出ました。シュータンが厚くて、低重心(LOWPROFILE)の設計で。その頃僕はアメリカに住んでいて、あまり売っているのを見かけなかったんですが、UNIONには売っていたんですよ。

―90年代後半はアメリカでもDUNKはあまり売れなかったとクリスも話していました。自分たちがクールに着こなしてスケートの文脈を踏んでいけば、DUNKがもっと売れるはずだと確信していたらしく、安いセール品をたくさん買い込んで売っていたみたいです。

小澤:まだNIKEと直接取引しているリテーラーじゃなかったんですね。僕もクリスの接客でDUNKを買ったのを覚えています。そもそもDUNKをどう合わせるかなんてルールは存在したなかったけどUNIONの提案は特殊でした。ちょっと王道から外れたUKらしいカラーリングのアウトドアに、ローカルなグラフィックTシャツを中に着て、古着のリーバイスとか合わせるみたいなイメージがありました。2000年前後ですね。その後、UNIONのショーケースはAIR FORCE 1のカスタムに変わっていったような。320ドルとかで売っていて、すごく輝いて見えました。

羽月:DUNKとAIR FORCE1って、同じ扱いではなかったですよね?

小澤:AIR FORCE1はラグジュアリーな方に走りつつ、バスケを超えた幅広いカルチャーと結びつきました。DUNKはその後、SBが2002年に発売さあれて、スケートの文脈でストリートを盛り上げました。その二軸を良い意味で一つにまとめたのが、やっぱり藤原ヒロシさんだった気がする。

羽月:昔はこのブランドとこのブランドを合わせるのはタブーみたいな暗黙のルールがあったように、その靴にその格好はなしでしょ、みたいなのがあったと思うんです。

小澤:今はそういう空気はないですよね。

羽月:その時代の中で、ヒロシさんって中立というか、ラグジュアリーなエルメスを着れば、STUSSYも着る。それを同じ雑誌のページで紹介するようなフィルターに僕はすごく影響を受けたんです。
小澤:大袈裟ではなく、あの頃はそこを通さなかったら、逆に何も見えてなかった時代かも知れないですよ。htmが出たのは2002年頃だったかな。その高級志向にNIKE全体のマインドが引っ張れるように、ちょっといい素材とか、特別なカラーには「PREMIUM」という冠がモデル名に頻繁に付くようになったんです。それがCO.JPとかQS(クィックストライク)で限定的に発売されるから、より「価値のあるもの」として認知された。ネーミングに惑わされる戦略的なマーケティングにストリートが動かされ始めた、とも言えます。



―DUNKのキャンバスも過去にありましたか?

小澤:あまり見た記憶はないけど、SBでは多かったんじゃないかな。ホワイトダンクやパリダンクもそうだし、FUTURAのSBも紙幣がプリントされた部分はキャンバスでしたよね。キャンバスってグラフィックアーティストが作品を載せるアートの下地でもあるから、スケートカルチャーを表現するSBとは相性が良いと思います。

羽月:ミッドでキャンバスってなると、ここから何でもできんじゃんって感じしますよね。何を合わせてもいいし、履きやすいし、ボロボロになってもかっこいい。他のDUNKよりも想像が膨らむ点では、良い意味での敷居の低さを感じます。

小澤:僕らの世代って、カスタムはアップグレードと同義になってしまうんですよ。メルセデスのAMGみたいに。だけど本来は幅広い自己表現のメソッドであるべき。OG世代のラグジュアリーな感覚だけを汲み取ってしまうと高止まりしちゃうというか。SBから入った羽月くんの世代だったら、DUNK MIDでキャンバスという組み合わせをプラスに解釈できると思うんです。

羽月:大事に履くのではなく、履き潰すためのDUNKですね。

小澤:それもヒロシさんが持っている側面の一つですよね。それが一番おしゃれな気がします。90年代のヴィンテージ、裏原宿のムーブメントを経験したことは耐え難い経験だけど、そのせいで僕たちはOGカラーの呪縛から抜け出せないでいる。価値を次の世代に引き継ぐことも大事だけど、それはあくまでインスピレーションであって、新しく作ってもらえた方がカルチャーは面白い。履き方とかも含めて。

羽月:懐かしい世代もいれば、これ見たことないって人もいる。そういう層に好きなように履いてもらえたらいいなって気がします。





NIKE DUNK MID
2004年にリリースされたDUNK MIDはわずか数年の展開となり、その遺伝子はNIKE SBに継承され、ズームエア及びストラップが搭載されたスケート仕様として現在も継続。今回はインラインでは省略された幻のミニマルデザインが国内のリテール展開は UNION TOKYO&OSAKA EXCLUSIVE のみでリイシュー。アースカラー&モノトーンの対照的なカラーリングとヴィンテージライクなエイジングが期待できるキャンバスでアレンジされた。新鮮なMIDカットは、ボトムスのボリューム及びレングスを問わない有用性の高いシルエットが特徴。



NIKE DUNK MID
¥14,300
COLOR:SAIL/BLACK-SAIL-BLACK
SIZE:26.0cm - 29.0cm



NIKE DUNK MID
¥14,300
COLOR:COCONUT MILK/VIVID ORANGE-CELESTIAL GOLD
SIZE:26.0cm - 29.0cm


Release Date
2023/5/12 (FRI)
UNION TOKYO ONLINE STORE:9AM JST
UNION OSAKA STORE OPENING HOUR:11AM JST
UNION TOKYO STORE OPENING HOUR:12PM JST



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