4th Anniv. Dialogue by Chris & Kunichi

4th Anniv. Dialogue by Chris & Kunichi

『UNION TOKYO』の4周年記念パーティーの前日、オーナーのChris Gibbsの元に1人の来客が訪れた。野村訓市、ライターにラジオDJ、各種ディレクション、さらには店舗設計から俳優まで肩書きを挙げれば枚挙に遑(いとま)がない、日本が誇る正真正銘のマルチクリエイターだ。

久しぶりの再会ともあって、積もる話を掘り起こすかのように会話を弾ませる2人。決して潤沢な時間があったわけではない。それでもUSストリートウェアの原点とも言える『UNION』の成り立ちから過渡期を迎えたストリートの未来まで、シーンの最前線に立つキーパーソンのキャッチアップは、学びと未来への期待が入り混じるかけがえのない時間だった。

『UNION TOKYO』では、その一部始終を4周年企画のフィナーレとして対談化。後世に残るであろう『UNION TOKYO』史上最長のロングインタビューをお届けする。

『UNION TOKYO』の4周年記念パーティーの前日、オーナーのChris Gibbsの元に1人の来客が訪れた。野村訓市、ライターにラジオDJ、各種ディレクション、さらには店舗設計から俳優まで肩書きを挙げれば枚挙に遑(いとま)がない、日本が誇る正真正銘のマルチクリエイターだ。

久しぶりの再会ともあって、積もる話を掘り起こすかのように会話を弾ませる2人。決して潤沢な時間があったわけではない。それでもUSストリートウェアの原点とも言える『UNION』の成り立ちから過渡期を迎えたストリートの未来まで、シーンの最前線に立つキーパーソンのキャッチアップは、学びと未来への期待が入り混じるかけがえのない時間だった。

『UNION TOKYO』では、その一部始終を4周年企画のフィナーレとして対談化。後世に残るであろう『UNION TOKYO』史上最長のロングインタビューをお届けする。

PART.1 「NYストリートのルーツとUNION」

PART.1
「NYストリートのルーツとUNION」



野村訓市(以下、K):俺たちが初めて会ったのは……。

Chris Gibbs(以下、C):2000年代前半だったね。2004年頃、俺の記憶では<NEIGHBORHOOD>の展示会だったと思う。

K:<NEIGHBORHOOD>と<WTAPS>がLAに行っていたときか。

C:俺がまだショップスタッフだったときのことだよ。

K:その後、Chrisが『UNION』を買い取ったんだよね?どうやって買い取ったの?レジ金を全部くすねたとか?(笑)

C:(笑)。2010年頃は景気があまり良くなかっただろ?Eddie(Cruz)(※1)はその頃、『UNDEFEATED』の成長に専念したいと言っていた。あの時期は本当に大変だったね。やることがたくさんあるのに、必ずしも<NEIGHBORHOOD>、<WTAPS>、<OriginalFake>、<visvim>、<GOODENOUGH>らが同じタイミングで展示会をやっていたわけではないから、年に4回、多い時は8回前後、日本に来なければいけなくて「もう日本には行きたくない」とさえ思ったな。そんなときに、Eddieに「これから会社をどうするつもり?俺にできることはある?」と尋ねたんだ。そうしたら、彼は「良い答えが見つからない。わからない」と返答してきてね。だから、俺は「それなら店(UNION)を辞めて、自分で何かを始めるよ。金はどうにかする」と言い捨てたんだ。すると、彼は「それなら資本金をシェアして、新しいストアを開き、『UNION』を引き継いでみないか?」と提案してくれたんだ。あの日は俺の人生で最高の1日だったよ。彼はオファーをしてくれただけではなく、スムーズに移行して新たなスタートを切れるよう、全てを整えてくれたんだ。Eddieは本当に特別な人だよ。彼はいつも個人やこの世界のコミュニティ、そして家族のことを思っている。今の俺が存在するのも彼のおかげに他ならないし、Kun(野村氏の愛称)と出会えたのも、日本のストリートウェアを知ることができたのも全て、彼のおかげなんだ。本当に優しい人で、今でも彼に電話をして、アドバイスをもらっている。

K:最高のエピソードだな。俺と『UNION』の出会いはニューヨーク。当時はLAよりもNYCに行くことが多かったから。そこで、James(Jebbia)(※2)とAaron(Bondaroff)に会ったんだ。確か、Aaronは高校を中退して、手癖が悪くて『UNION』で捕まってたよね。(笑)

C:Aaronは『UNION』で働く前、プリンス・ストリートの<Stüssy>の向かいにある健康食品店で働いていたんだけど、当時JamesのパートナーだったMary Ann Fusco (@maison_swag) は毎日、その健康食品店に通ってランチなどを購入していたんだよ。彼女は彼がお気に入りだったと思う。

K:俺は『UNION』のNYストアについては、俺が仲良くしているShadyと彼のクルーから色々と教えてもらったな。Jamesは最初に『UNION』を設立し、それから<Stüssy>を始めて、<Stüssy>のNYチャプターを開いたって聞いている。その後、彼は<Supreme>を始めたから、『UNION』は彼が“ストリートウェア”を取り扱った最初の仕事だったということだよね。Chrisはいつ頃、『UNION』に入ったの?

C:俺はまず、『UNION』のNYストアでキャリアをスタートした。Aaronが『UNION』を辞めて<Supreme>に移籍した1995年か96年に、僕が彼に代わって『UNION』で働き始めた。NYの『UNION』には8年間ぐらい在籍していたかな。



野村訓市(以下、K):俺たちが初めて会ったのは……。

Chris Gibbs(以下、C):2000年代前半だったね。2004年頃、俺の記憶では<NEIGHBORHOOD>の展示会だったと思う。

K:<NEIGHBORHOOD>と<WTAPS>がLAに行っていたときか。

C:俺がまだショップスタッフだったときのことだよ。

K:その後、Chrisが『UNION』を買い取ったんだよね?どうやって買い取ったの?レジ金を全部くすねたとか?(笑)

C:(笑)。2010年頃は景気があまり良くなかっただろ?Eddie(Cruz)(※1)はその頃、『UNDEFEATED』の成長に専念したいと言っていた。あの時期は本当に大変だったね。やることがたくさんあるのに、必ずしも<NEIGHBORHOOD>、<WTAPS>、<OriginalFake>、<visvim>、<GOODENOUGH>らが同じタイミングで展示会をやっていたわけではないから、年に4回、多い時は8回前後、日本に来なければいけなくて「もう日本には行きたくない」とさえ思ったな。そんなときに、Eddieに「これから会社をどうするつもり?俺にできることはある?」と尋ねたんだ。そうしたら、彼は「良い答えが見つからない。わからない」と返答してきてね。だから、俺は「それなら店(UNION)を辞めて、自分で何かを始めるよ。金はどうにかする」と言い捨てたんだ。すると、彼は「それなら資本金をシェアして、新しいストアを開き、『UNION』を引き継いでみないか?」と提案してくれたんだ。あの日は俺の人生で最高の1日だったよ。彼はオファーをしてくれただけではなく、スムーズに移行して新たなスタートを切れるよう、全てを整えてくれたんだ。Eddieは本当に特別な人だよ。彼はいつも個人やこの世界のコミュニティ、そして家族のことを思っている。今の俺が存在するのも彼のおかげに他ならないし、Kun(野村氏の愛称)と出会えたのも、日本のストリートウェアを知ることができたのも全て、彼のおかげなんだ。本当に優しい人で、今でも彼に電話をして、アドバイスをもらっている。

K:最高のエピソードだな。俺と『UNION』の出会いはニューヨーク。当時はLAよりもNYCに行くことが多かったから。そこで、James(Jebbia)(※2)とAaron(Bondaroff)に会ったんだ。確か、Aaronは高校を中退して、手癖が悪くて『UNION』で捕まってたよね。(笑)

C:Aaronは『UNION』で働く前、プリンス・ストリートの<Stüssy>の向かいにある健康食品店で働いていたんだけど、当時JamesのパートナーだったMary Ann Fusco (@maison_swag) は毎日、その健康食品店に通ってランチなどを購入していたんだよ。彼女は彼がお気に入りだったと思う。

K:俺は『UNION』のNYストアについては、俺が仲良くしているShadyと彼のクルーから色々と教えてもらったな。Jamesは最初に『UNION』を設立し、それから<Stüssy>を始めて、<Stüssy>のNYチャプターを開いたって聞いている。その後、彼は<Supreme>を始めたから、『UNION』は彼が“ストリートウェア”を取り扱った最初の仕事だったということだよね。Chrisはいつ頃、『UNION』に入ったの?

C:俺はまず、『UNION』のNYストアでキャリアをスタートした。Aaronが『UNION』を辞めて<Supreme>に移籍した1995年か96年に、僕が彼に代わって『UNION』で働き始めた。NYの『UNION』には8年間ぐらい在籍していたかな。

UNION LAを立ち上げたEddie Cruz(右側)古参にして
UNIONヒストリーの重要人物

K:8年も?! さすが、『UNION』の看板を背負っているだけあるね。

C:10000時間は働いたね、間違いない(笑)。その後、当時の彼女にして後に妻となるBephie (Beth Gibbs, @bephie) とロサンゼルスに引っ越したんだ。家庭を持つために、ニューヨークが正しい場所かどうかわからなかったし、彼女には映画業界で働きたいという夢があったから。Eddieの下で働き始めたのは、2003年からだね。

K:ということは、LAのストアがオープンしたのはもちろん、NYより後のことだよね?

C:NYのストアは1989年に、LAは1991年にオープンしたんだ。俺がいつも皆に伝えたいと思っていることのひとつに、今、<Supreme>は何十億ドルという評価を受けていて、世界を席巻している。でも、彼らは昔、ニューヨークのストリートで路上販売をしていたんだ。80年代にね。

K:Jamesの<Parachute>(※3)時代ね!

C:そうそう。彼は<Parachute>を辞めたあとに、ロンドンとかでトレーナーを買い付けたりして、それをストリートで売り始めたんだよ。

K:Jamesは「ストリートウェアを始めて作り始めたのはアメリカではなく、イギリスだ」と言うよね。

C:そこから、1989年にニューヨークに『UNION』がオープンする。Eddieは<Parachute>でJamesのアシスタントをしていて。その後、Eddieはロサンゼルスに引っ越して、<Stüssy>と『UNION』を一緒にした『Stüssy X UNION』と呼ばれるコンボストアをオープンした。Shawn Stussyからの融資を受けて、1991年にオープンさせたんじゃないかな。

K:なるほどね。本当に長い歴史があるんだね。

C:いやー、長すぎるね。でも、好きどころか、愛しているんだ。毎日起きてはインスピレーションを受けて、ストリートウェアシーンの一部であることに感動するんだ。

K:でも今は大きく変化したんじゃない?Chrisが『UNION』で働き始めたときは、洋服がメインだったでしょ?

C:24ドルのTシャツとかね。壁一面にTシャツを飾っていた。ここは壁がクリーンだろう?それは、俺が毎日壁面のディスプレイを直していたことがトラウマになっているからだよ。Stash、Futura、彼らがやっていた<PROJECT DRAGON>(※4)に<SSUR>、<Elements of Style>とかとか。挙げようと思えば、いくらでも挙げれるな。<WK Interact>もそうだし……。

UNION LAを立ち上げたEddie Cruz(右側)古参にしてUNIONヒストリーの重要人物

K:8年も?! さすが、『UNION』の看板を背負っているだけあるね。

C:10000時間は働いたね、間違いない(笑)。その後、当時の彼女にして後に妻となるBephie (Beth Gibbs, @bephie) とロサンゼルスに引っ越したんだ。家庭を持つために、ニューヨークが正しい場所かどうかわからなかったし、彼女には映画業界で働きたいという夢があったから。Eddieの下で働き始めたのは、2003年からだね。

K:ということは、LAのストアがオープンしたのはもちろん、NYより後のことだよね?

C:NYのストアは1989年に、LAは1991年にオープンしたんだ。俺がいつも皆に伝えたいと思っていることのひとつに、今、<Supreme>は何十億ドルという評価を受けていて、世界を席巻している。でも、彼らは昔、ニューヨークのストリートで路上販売をしていたんだ。80年代にね。

K:Jamesの<Parachute>(※3)時代ね!

C:そうそう。彼は<Parachute>を辞めたあとに、ロンドンとかでトレーナーを買い付けたりして、それをストリートで売り始めたんだよ。

K:Jamesは「ストリートウェアを始めて作り始めたのはアメリカではなく、イギリスだ」と言うよね。

C:そこから、1989年にニューヨークに『UNION』がオープンする。Eddieは<Parachute>でJamesのアシスタントをしていて。その後、Eddieはロサンゼルスに引っ越して、<Stüssy>と『UNION』を一緒にした『Stüssy X UNION』と呼ばれるコンボストアをオープンした。Shawn Stussyからの融資を受けて、1991年にオープンさせたんじゃないかな。

K:なるほどね。本当に長い歴史があるんだね。

C:いやー、長すぎるね。でも、好きどころか、愛しているんだ。毎日起きてはインスピレーションを受けて、ストリートウェアシーンの一部であることに感動するんだ。

K:でも今は大きく変化したんじゃない?Chrisが『UNION』で働き始めたときは、洋服がメインだったでしょ?

C:24ドルのTシャツとかね。壁一面にTシャツを飾っていた。ここは壁がクリーンだろう?それは、俺が毎日壁面のディスプレイを直していたことがトラウマになっているからだよ。Stash、Futura、彼らがやっていた<PROJECT DRAGON>(※4)に<SSUR>、<Elements of Style>とかとか。挙げようと思えば、いくらでも挙げれるな。<WK Interact>もそうだし……。




90年代当時セールスパーソンだった Chris(Gibbs)が
UNION NYで働いていた頃の一コマ

K:Eddy(Desplanques)か、フランス出身の。彼は面白い奴だよね。今こそシーンに帰ってくるべきだと思わない?ニューヨークで出会ったけど、躍動感や臨場感のあるモノクロのグラフィックとは裏腹に、本人はまるで機械みたいだった(笑)。

C:あとは、Gio(Esteves)(※5)の<ANX Originals>とかかな。

K:懐かしいな。まだTシャツ持ってるよ。1990年代後期から2000年代の<NUMBER (N)INE>のグラフィックの多くは、彼が手がけていたはず。宮下(貴裕)とGioは、本当に仲がよかった。

C:それは知らなかった。兎にも角にも最高だな。

K:ChrisもGioと何かやればいいのに。

C:名案だね。

K:うん。何か面白そうなことが起こりそうな気がしてきた。彼のスタイルは何というか……まるでニューヨークの摩天楼みたいで、とてもシンプルなのがいい。お気に入りだから、今も大切に持っているんだ。

(注釈)
※1:『Stüssy LA』元オーナー、『UNDEFEATED』の創業者の1人でLAストリートウエア界の重鎮
※2:<Supreme>のファウンダー
※3:ニューヨークのソーホーに存在した伝説的セレクトストア
※4:1990年代後半にStashとFuturaが設立したデザインスタジオ兼ブランド
※5:デザイナー/アーティストであり『Supreme NY』OGメンバー。



90年代当時、セールスパーソンだった Chris(Gibbs)がUNION NYで働いていた頃の一コマ

PART.2
「逆境がもたらしたUNIONとファッションの“変化”」


K:Eddy(Desplanques)か、フランス出身の。彼は面白い奴だよね。今こそシーンに帰ってくるべきだと思わない?ニューヨークで出会ったけど、躍動感や臨場感のあるモノクロのグラフィックとは裏腹に、本人はまるで機械みたいだった(笑)。

C:あとは、Gio(Esteves)(※5)の<ANX Originals>とかかな。

K:懐かしいな。まだTシャツ持ってるよ。1990年代後期から2000年代の<NUMBER (N)INE>のグラフィックの多くは、彼が手がけていたはず。宮下(貴裕)とGioは、本当に仲がよかった。

C:それは知らなかった。兎にも角にも最高だな。

K:ChrisもGioと何かやればいいのに。

C:名案だね。

K:うん。何か面白そうなことが起こりそうな気がしてきた。彼のスタイルは何というか……まるでニューヨークの摩天楼みたいで、とてもシンプルなのがいい。お気に入りだから、今も大切に持っているんだ。

(注釈)
※1:『Stüssy LA』元オーナー、『UNDEFEATED』の創業者の1人でLAストリートウエア界の重鎮
※2:<Supreme>のファウンダー
※3:ニューヨークのソーホーに存在した伝説的セレクトストア
※4:1990年代後半にStashとFuturaが設立したデザインスタジオ兼ブランド
※5:デザイナー/アーティストであり『Supreme NY』OGメンバー。


PART.2
「逆境がもたらしたUNIONとファッションの“変化”」

野村訓市(以下、K):Chrisが『UNION』の店頭にいた頃も懐かしいね。Tシャツもそうだけど、当時からスニーカーも扱っていた記憶があるけど。

Chris Gibbs(以下、C):うん、<Nike SB>を扱っていたかな。『UNION LOS ANGELES』は<Nike SB>の世界で最初のディーラーだったんだよ。それと並行して、日本のブランドやスニーカーを買い付けていたんだ。新鮮で、面白いものを仕入れるためにね。

K:『UNION』を引き継いだ頃、どんなコンセプトや方向性でやっていこうと思っていた?

C:俺が『UNION』を継いだときは、ちょうど不景気の頃だったからね……。喧嘩していたわけではないけど、俺とEddieの間にはちょっとした緊張感があったのは事実。俺はもっと高いものをセレクトするべきだと思っていたけど、そうしたら、彼から「正気か?全く理にかなってない」と言われたよ。でも、不況でもお金を持っている人は持っていただろ?不況だからこそ、人はより価値があり、息の長い製品を購入したがるようになっていたんだ。俺たち夫婦も「もう<IKEA>は要らない。長持ちする家具を買おう。いつか壊れてしまうものを買う余裕はない」って話しをしたのを覚えている。それをファッションに置き換えると、長持ちするものを購入し、単なるトレンドを追うこととは少し趣向が変わってきたんだ。『UNION』はTシャツ、ハット、フーディとか、純粋無垢なストリートウェアと共に始まった。そこに日本のエッセンスを注入すると、品質が上がり、価格帯も上がる。そのプライスレンジになると、少し年配の方や気の利いたスタイルを好む新しいカスタマーが来てくれるようになり、日本のブランドを購入してくれるようになったんだ。当時に置き換えると、<WTAPS>のファンが、いつか<visvim>を購入するようなイメージかな。

K:確かに、<visvim>のスウェットは“ストリートウェアの価格”とは言い難い。でも、その理由は背景に確かなストーリーがあって、そのストーリーに惚れ込んで購入する人もいるからね。

C:そのとおり。俺たちがステップアップして、日本のストリートウェアを取り入れると、プライスは高くても、細部にこだわり、よりクオリティの高い洋服を求める顧客を獲得することができた。それによって、今度はボタンダウンシャツに何十万円を支払うことも厭わない人たちに『UNION』を見てもらう機会が生まれたんだ。俺がEddieから後を継いだ頃は、引き続きロープライスのストリートウェアをメインにしつつも、ハイファッションも扱い、中途半端なクオリティのものとは無縁の店づくりを考えていた。それは品質のみならず、センスや感性も該当していて、日本のストリートウェアはその全てを満たしていた。だから、Eddieと『UNION』と俺の『UNION』の大きな違いは、俺たちがハイ&ローのミックスを始めたことかな。


野村訓市(以下、K):Chrisが『UNION』の店頭にいた頃も懐かしいね。Tシャツもそうだけど、当時からスニーカーも扱っていた記憶があるけど。

Chris Gibbs(以下、C):うん、<Nike SB>を扱っていたかな。『UNION LOS ANGELES』は<Nike SB>の世界で最初のディーラーだったんだよ。それと並行して、日本のブランドやスニーカーを買い付けていたんだ。新鮮で、面白いものを仕入れるためにね。

K:『UNION』を引き継いだ頃、どんなコンセプトや方向性でやっていこうと思っていた?

C:俺が『UNION』を継いだときは、ちょうど不景気の頃だったからね……。喧嘩していたわけではないけど、俺とEddieの間にはちょっとした緊張感があったのは事実。俺はもっと高いものをセレクトするべきだと思っていたけど、そうしたら、彼から「正気か?全く理にかなってない」と言われたよ。でも、不況でもお金を持っている人は持っていただろ?不況だからこそ、人はより価値があり、息の長い製品を購入したがるようになっていたんだ。俺たち夫婦も「もう<IKEA>は要らない。長持ちする家具を買おう。いつか壊れてしまうものを買う余裕はない」って話しをしたのを覚えている。それをファッションに置き換えると、長持ちするものを購入し、単なるトレンドを追うこととは少し趣向が変わってきたんだ。『UNION』はTシャツ、ハット、フーディとか、純粋無垢なストリートウェアと共に始まった。そこに日本のエッセンスを注入すると、品質が上がり、価格帯も上がる。そのプライスレンジになると、少し年配の方や気の利いたスタイルを好む新しいカスタマーが来てくれるようになり、日本のブランドを購入してくれるようになったんだ。当時に置き換えると、<WTAPS>のファンが、いつか<visvim>を購入するようなイメージかな。

K:確かに、<visvim>のスウェットは“ストリートウェアの価格”とは言い難い。でも、その理由は背景に確かなストーリーがあって、そのストーリーに惚れ込んで購入する人もいるからね。

C:そのとおり。俺たちがステップアップして、日本のストリートウェアを取り入れると、プライスは高くても、細部にこだわり、よりクオリティの高い洋服を求める顧客を獲得することができた。それによって、今度はボタンダウンシャツに何十万円を支払うことも厭わない人たちに『UNION』を見てもらう機会が生まれたんだ。俺がEddieから後を継いだ頃は、引き続きロープライスのストリートウェアをメインにしつつも、ハイファッションも扱い、中途半端なクオリティのものとは無縁の店づくりを考えていた。それは品質のみならず、センスや感性も該当していて、日本のストリートウェアはその全てを満たしていた。だから、Eddieと『UNION』と俺の『UNION』の大きな違いは、俺たちがハイ&ローのミックスを始めたことかな。


2022年4月の来日時に旧くから親交のある NEIGHBORHOOD チームと
Chris (Gibbs) の東京出張記はこちらから。
The Shit I Do To Make Y’all Look Fly: Tokyo 22


2022年4月の来日時に旧くから親交のある NEIGHBORHOOD チームと
Chris (Gibbs) の東京出張記はこちらから。
The Shit I Do To Make Y’all Look Fly: Tokyo 22

K:LAの『UNION』で色々と値札を見たのを思い出すな。当時はハイ&ローのミックスだったけど、今では全てがミックスされてしまったね。ハイファッションは、ストリートウェアに「0」を2つ足したように見える。昔はハイファッションとはよく言ったけど、ある時から、ハイファッションとストリートウェアの定義や分類は難しくなり、結局境界線は取り除かれた。Virgil(Abloh)が<Louis Vuitton>のクリエイティブディレクターになったようにね。Virgilが<Louis Vuitton>だよ?信じられた?もちろん、すごく喜ばしかったけど、同時に「ここまで来たか」とも思ったね。

C:全く同意見だよ。境界線は曖昧になったと思う。俺の感覚では、ストリートウェアがファッションを新しいおもちゃと捉えているようなイメージかな。それに倣うかのように、誰もがファッションを新しいおもちゃにして、遊び心を持ち続けている。一方で、ファストファッションがトラディショナルなファッションにダメージを与えているのは否めない。ストリートウェアは、複雑なんだ。ストリートウェアの基本は、グラフィック。でも、ファストファッション企業は、グラフィックまで真似することはできない。俺たちは小さなロゴのために<Supreme>を買うだろ?俺たちは、どこかにロゴを忍ばせるんだ。それは、ファストファッションにコピーされないために。だから、ハイファッションもストリートウェアに軸足を置くことにしたんじゃないかな。<ZARA>で<Yohji Yamamoto>にそっくりなシルエットのアイテムを見つけても、多くの人はそれに気がつかない。でも、大きな“Y”が付いていたら、それはコピーと見なされるからね。

K:日本でも同じようなことが起きたことがある。俺が東京の高校に通っていた90年代前半は、ドメスティックはダサいと思われていた。ヴィンテージのようなアメリカ製が正義で、<Gap>のTシャツもストアがなかったから高かったな。でも、バックパッカーをした後の1999年に帰国すると、衝撃的な状況になっていた。若者が日本のブランドに長蛇の列を作っていたんだよ。俺には大企業に務めている友人がいて、彼から「僕らは品質のいいTシャツを作っているのに、ストリートのブランドは<Anvil>などの既成ボディを使っている。僕の会社にはデザイナーもいるし、彼らはどんなロゴやグラフィックもデザインできるのに、若者は僕らのブランドを購入せず、ストリートウェアブランドのタグ付きのTシャツしか買わない。僕らは織り機でオリジナルのTシャツを編み、シルクスクリーンも7版使ったりとコストをかけているのにだよ?それなのに、この差は何なんだ?」と聞かれた。答えは簡単だった。ブランドにストーリーがないからなんだよね。

C:そうなんだよね。本物のストリートウェアには、ストーリーが宿っているから。

K:彼の言っていることは、よくわかるんだけどね。この反動からか、2000年代の半ばになると、プレッピーなものや、よりアメリカンな雰囲気の洋服が普及してきた。俺の知り合いたちも洗練された服を作り始めて、<WTAPS>とかでもシャツとかジャケットのシルエットがタイトになった。それからしばらくして、安いブランドがそれらを真似して、値段は安くても、最低限の品質が担保されるものを作るようになったよね。俺は昔、<A.P.C.>が好きで、生のデニムを愛用していたんだ。少し前にある若者に話しかけられて、その子は生デニムを履いていたから「<A.P.C.>のやつ?」と聞いたら、<UNIQLO>のものだと言われたよ。よくできているから、違いがわからなかったんだよね。こうしてファストファッションが、ブランドビジネスを台無しにしている。この先どうなるのかと、不安になったのは間違いない。ただ、COVID-19の前は少し(グラフィックが)やりすぎだったとも思わない?

C:みんな、カラダのいたるところにロゴがあったからね。それは、日本やパリに限らず、アメリカでも同じだった。どの服にも、どのブランドにもロゴがたくさんついている。<Supreme>のTシャツや<Dior>のフーディーに、<Balenciaga>のキャップと<Nike>のスニーカーをあわせて、全身異なるブランドで固められていることも珍しくはなくなった。でも、今の日本は決してそんなこともない。

K:少し前まではどこもかしこもグラフィックだらけだったけど、約3年前にCOVID-19が起こって、2020年の7月頃から少しずつ変わり始めてきた。そこで、グラフィックが減少傾向にあることに気がついたんだよね。今のムードとして、真っ赤なセットアップにグラフィックものを着るような気分ではないから、結果としてグラフィックを最小限に抑えた洋服が増加した。もちろん、グラフィックTシャツも持っているけど、スウェットはシンプルだったり。逆にジャケットが派手だったら、インナーは落ち着いたものでバランスを取っている感じ。必然だよね、オシャレをして出かける機会がなかったから。

C:その通り。実際に、俺たちが取り扱っている一部のブランドは、COVID-19の期間中でも良い結果を残していたんだ。でも、あるブランドはかなり売上が落ち込んだ。それは外出需要の上に成り立っているようなブランドで、人目に触れることで魅力を発揮するようなブランドが大苦戦したのは間違いない。

K:確か、前回最後に会ったのは、2019年10月のVERDYのパーティーに来てくれた時だったよね?渋谷のクラブ『VISION』で飛び跳ねているキッズたちを見ると、服装の違いがよくわかる。俺の見解だと、ある子はグラフィックは控えめで、ドメスティックな装いをしているし、友達のラッパーが作っているTシャツを着ているような奴もいて、彼らは特別大きな投資をしているわけではない。でも、一方ではとんでもなくお金持ちのキッズもいて、若い家族はビットコインか何かで財をなして、好きなときに好きなところへ旅行に行き、ランボルギーニの「ディアブロ」を乗り回してる。時計やその他高級品も好きなようにね。それが洋服にも当てはまるんだ。

C:お金でストレスを発散する奴は、世界中に存在するってわけだね。

K:『UNION』もCOVID-19の影響は少なくなかったでしょ?

C:直撃当初は俺たちも怯えていたよ。半年間も店を閉めなければいけなかったからね。でも、幸いにもオンラインで営業を続けながら、店を維持することができたんだ。誰も解雇することなく、生き残るために十分なビジネス展開だったよ。いくつか隠し球を仕込んでいて、そのうちのひとつが2020年夏にリリースした<Jordan Brand>とのコラボレーション第二弾だった。あのリリースは、俺たちに大きな変化と助けをもたらしてくれたんだ。それに、去年は『UNION』の30周年という節目でもあった。Jordan同様、たくさんの時間とエネルギーを注いだ素晴らしいコラボレーションをリリースできて、直近の2年は最高だったと思う。もちろん、最初は怖かったけどね。

K:LAの『UNION』で色々と値札を見たのを思い出すな。当時はハイ&ローのミックスだったけど、今では全てがミックスされてしまったね。ハイファッションは、ストリートウェアに「0」を2つ足したように見える。昔はハイファッションとはよく言ったけど、ある時から、ハイファッションとストリートウェアの定義や分類は難しくなり、結局境界線は取り除かれた。Virgil(Abloh)が<Louis Vuitton>のクリエイティブディレクターになったようにね。Virgilが<Louis Vuitton>だよ?信じられた?もちろん、すごく喜ばしかったけど、同時に「ここまで来たか」とも思ったね。

C:全く同意見だよ。境界線は曖昧になったと思う。俺の感覚では、ストリートウェアがファッションを新しいおもちゃと捉えているようなイメージかな。それに倣うかのように、誰もがファッションを新しいおもちゃにして、遊び心を持ち続けている。一方で、ファストファッションがトラディショナルなファッションにダメージを与えているのは否めない。ストリートウェアは、複雑なんだ。ストリートウェアの基本は、グラフィック。でも、ファストファッション企業は、グラフィックまで真似することはできない。俺たちは小さなロゴのために<Supreme>を買うだろ?俺たちは、どこかにロゴを忍ばせるんだ。それは、ファストファッションにコピーされないために。だから、ハイファッションもストリートウェアに軸足を置くことにしたんじゃないかな。<ZARA>で<Yohji Yamamoto>にそっくりなシルエットのアイテムを見つけても、多くの人はそれに気がつかない。でも、大きな“Y”が付いていたら、それはコピーと見なされるからね。

K:日本でも同じようなことが起きたことがある。俺が東京の高校に通っていた90年代前半は、ドメスティックはダサいと思われていた。ヴィンテージのようなアメリカ製が正義で、<Gap>のTシャツもストアがなかったから高かったな。でも、バックパッカーをした後の1999年に帰国すると、衝撃的な状況になっていた。若者が日本のブランドに長蛇の列を作っていたんだよ。俺には大企業に務めている友人がいて、彼から「僕らは品質のいいTシャツを作っているのに、ストリートのブランドは<Anvil>などの既成ボディを使っている。僕の会社にはデザイナーもいるし、彼らはどんなロゴやグラフィックもデザインできるのに、若者は僕らのブランドを購入せず、ストリートウェアブランドのタグ付きのTシャツしか買わない。僕らは織り機でオリジナルのTシャツを編み、シルクスクリーンも7版使ったりとコストをかけているのにだよ?それなのに、この差は何なんだ?」と聞かれた。答えは簡単だった。ブランドにストーリーがないからなんだよね。

C:そうなんだよね。本物のストリートウェアには、ストーリーが宿っているから。

K:彼の言っていることは、よくわかるんだけどね。この反動からか、2000年代の半ばになると、プレッピーなものや、よりアメリカンな雰囲気の洋服が普及してきた。俺の知り合いたちも洗練された服を作り始めて、<WTAPS>とかでもシャツとかジャケットのシルエットがタイトになった。それからしばらくして、安いブランドがそれらを真似して、値段は安くても、最低限の品質が担保されるものを作るようになったよね。俺は昔、<A.P.C.>が好きで、生のデニムを愛用していたんだ。少し前にある若者に話しかけられて、その子は生デニムを履いていたから「<A.P.C.>のやつ?」と聞いたら、<UNIQLO>のものだと言われたよ。よくできているから、違いがわからなかったんだよね。こうしてファストファッションが、ブランドビジネスを台無しにしている。この先どうなるのかと、不安になったのは間違いない。ただ、COVID-19の前は少し(グラフィックが)やりすぎだったとも思わない?

C:みんな、カラダのいたるところにロゴがあったからね。それは、日本やパリに限らず、アメリカでも同じだった。どの服にも、どのブランドにもロゴがたくさんついている。<Supreme>のTシャツや<Dior>のフーディーに、<Balenciaga>のキャップと<Nike>のスニーカーをあわせて、全身異なるブランドで固められていることも珍しくはなくなった。でも、今の日本は決してそんなこともない。

K:少し前まではどこもかしこもグラフィックだらけだったけど、約3年前にCOVID-19が起こって、2020年の7月頃から少しずつ変わり始めてきた。そこで、グラフィックが減少傾向にあることに気がついたんだよね。今のムードとして、真っ赤なセットアップにグラフィックものを着るような気分ではないから、結果としてグラフィックを最小限に抑えた洋服が増加した。もちろん、グラフィックTシャツも持っているけど、スウェットはシンプルだったり。逆にジャケットが派手だったら、インナーは落ち着いたものでバランスを取っている感じ。必然だよね、オシャレをして出かける機会がなかったから。

C:その通り。実際に、俺たちが取り扱っている一部のブランドは、COVID-19の期間中でも良い結果を残していたんだ。でも、あるブランドはかなり売上が落ち込んだ。それは外出需要の上に成り立っているようなブランドで、人目に触れることで魅力を発揮するようなブランドが大苦戦したのは間違いない。

K:確か、前回最後に会ったのは、2019年10月のVERDYのパーティーに来てくれた時だったよね?渋谷のクラブ『VISION』で飛び跳ねているキッズたちを見ると、服装の違いがよくわかる。俺の見解だと、ある子はグラフィックは控えめで、ドメスティックな装いをしているし、友達のラッパーが作っているTシャツを着ているような奴もいて、彼らは特別大きな投資をしているわけではない。でも、一方ではとんでもなくお金持ちのキッズもいて、若い家族はビットコインか何かで財をなして、好きなときに好きなところへ旅行に行き、ランボルギーニの「ディアブロ」を乗り回してる。時計やその他高級品も好きなようにね。それが洋服にも当てはまるんだ。

C:お金でストレスを発散する奴は、世界中に存在するってわけだね。

K:『UNION』もCOVID-19の影響は少なくなかったでしょ?

C:直撃当初は俺たちも怯えていたよ。半年間も店を閉めなければいけなかったからね。でも、幸いにもオンラインで営業を続けながら、店を維持することができたんだ。誰も解雇することなく、生き残るために十分なビジネス展開だったよ。いくつか隠し球を仕込んでいて、そのうちのひとつが2020年夏にリリースした<Jordan Brand>とのコラボレーション第二弾だった。あのリリースは、俺たちに大きな変化と助けをもたらしてくれたんだ。それに、去年は『UNION』の30周年という節目でもあった。Jordan同様、たくさんの時間とエネルギーを注いだ素晴らしいコラボレーションをリリースできて、直近の2年は最高だったと思う。もちろん、最初は怖かったけどね。

2020年にリリースされたUNION JORDAN IV、
2018年のAJ1に続き話題を呼んだ

2020年にリリースされたUNION JORDAN IV、
2018年のAJ1に続き話題を呼んだ

K:怖かったのはみんな同じだと思う。街に誰もいなかったからね。

C:東京はまだ静かで、人が完全には戻ってきていないように見えるかな。

K:回復はしているけど、観光客がいないから、少なく見えるんだよね。原宿はCOVID-19前と比較して、日中の人口が50%ぐらいまで減っているから。空き店舗もたくさん出てきて、この先、誰が入ってくるかもわからない。以前はある洋服屋が撤退するとなったら、閉店前に新しいブランドが入るのが決まっていたのに。でも、美容室やカフェは常に新しいテナントを探しているのも事実。原宿全体がこの家賃だと、誰がこの街にふさわしいのかわからないし、家賃を払えるかもわからない。この先、持続可能なビジネスができるのか、かなり興味深いよ。この街はどうなるんだろう、東京はどうなるんだろうってね。だから、今の若者たちは皆、(東京に来ても)郊外に出かけているような感覚と変わらないんじゃないかな。ヴィンテージショップも流行っているしね。下北沢の週末なんて、若者でごった返しているよ。若い友達から、最寄り駅がよくわからない辺鄙な場所にあるバーに誘われて、みんなそこに自転車で集合したり。今はまさに、変化の過渡期にあるんだなと思ったよ。

C:俺はそういうのが好きだな。特に、若者のエネルギーと、彼らがこの世界をどのようにナビゲートしているかがね。同じようなことをニューヨークでも経験したんだ。街を歩いてても知らない人ばかり。若者で溢れかえっていて、彼らが着ているブランドも知らない。あの子たちは自分で作ったものや友人の洋服を着ているんだよね。そういうのをクールだと思うんだ。

K:今はかなりタイトな服を着ている子もいるし、俺たちに迎合する感じはないよね。俺たちはオーバーサイズに慣れすぎてしまったと思う。でも、オーバーサイズが復権した頃も、それを乗り越えようとした。だから、一度戻れば、またタイトに戻れる気もするな。

C:俺のカラダは、オーバーサイズから戻りそうにもないけどね(笑)

K:怖かったのはみんな同じだと思う。街に誰もいなかったからね。

C:東京はまだ静かで、人が完全には戻ってきていないように見えるかな。

K:回復はしているけど、観光客がいないから、少なく見えるんだよね。原宿はCOVID-19前と比較して、日中の人口が50%ぐらいまで減っているから。空き店舗もたくさん出てきて、この先、誰が入ってくるかもわからない。以前はある洋服屋が撤退するとなったら、閉店前に新しいブランドが入るのが決まっていたのに。でも、美容室やカフェは常に新しいテナントを探しているのも事実。原宿全体がこの家賃だと、誰がこの街にふさわしいのかわからないし、家賃を払えるかもわからない。この先、持続可能なビジネスができるのか、かなり興味深いよ。この街はどうなるんだろう、東京はどうなるんだろうってね。だから、今の若者たちは皆、(東京に来ても)郊外に出かけているような感覚と変わらないんじゃないかな。ヴィンテージショップも流行っているしね。下北沢の週末なんて、若者でごった返しているよ。若い友達から、最寄り駅がよくわからない辺鄙な場所にあるバーに誘われて、みんなそこに自転車で集合したり。今はまさに、変化の過渡期にあるんだなと思ったよ。

C:俺はそういうのが好きだな。特に、若者のエネルギーと、彼らがこの世界をどのようにナビゲートしているかがね。同じようなことをニューヨークでも経験したんだ。街を歩いてても知らない人ばかり。若者で溢れかえっていて、彼らが着ているブランドも知らない。あの子たちは自分で作ったものや友人の洋服を着ているんだよね。そういうのをクールだと思うんだ。

K:今はかなりタイトな服を着ている子もいるし、俺たちに迎合する感じはないよね。俺たちはオーバーサイズに慣れすぎてしまったと思う。でも、オーバーサイズが復権した頃も、それを乗り越えようとした。だから、一度戻れば、またタイトに戻れる気もするな。

C:俺のカラダは、オーバーサイズから戻りそうにもないけどね(笑)

PART.3 「UNIONが描く未来予想図」

PART.3 「UNIONが描く未来予想図」


野村訓市(以下、K):COVID-19を経て、ハイ&ローのミックスやプライスは変化し、それを逆手に取って成功したブランドもあれば、大きなダメージを被ったブランドもあると思う。きっと『UNION』もパンデミックを経験して大きく成長したと思うし、40周年に向けて明確なビジョンができたんじゃない?『UNION』として、ストリートウェアに特化したローカルのショップとして、今後はどんな方向性を考えてる?

Chris Gibbs(以下、C):『UNION』は、常に複数のことを同時並行してきた。もちろん、良い時も悪い時もあるさ。俺たちは自分たちで製品を作り、コラボレーションすることで成長してきたけど、ブランドから仕入れたものをファンに提供することで、オリジナルをより多くの人に知ってもらうキッカケ作りができる。さっきも言ったけど、『UNION』は初めから、ハイからロー、そしてその間に存在するものも全て取り扱っている。俺たちが30年も続いている理由の一つは、常にハイ&ローのバランスを保ってきたからだと思う。そうじゃないか?もし、安い商品しか取り扱いがなく、ロープライスのものに飽きが来たら、俺たちは廃業してしまう。逆もまた然りで、高額商品のみを販売しても、時の流れに逆らえないときがやってくる。だから、俺たちはどんなときでも、絶妙なバランス感を保っているんだ。メゾンブランドがやっているような大袈裟なファッションシューティングはしない。それを30年間続けている。ロサンゼルスでもこんな話しをたくさんしているし、東京でもこの話題になる。さっきはPoggy(小木基史)と話したんだけど、彼から日本の新鋭ブランドについての印象を聞かれたけど、これこそ俺の楽しみのひとつだよ。俺たちが求めているのは、新しい世代がどんな人たちなのかということ。30年間の道のりは素晴らしかったけど、これからの10年をどう過ごすかを想像すると興奮するし、期待もしている。新しいデザイン、新しいアイデア、新しいストーリーが待っているんだ。人々は製品を買うのではなく、ストーリーを買うんだよ。Eddieが俺を助けてくれたように、俺も次の世代に手を差し伸べたいと思っている。

K:プラットフォームとしての『UNION』の立ち位置は、世界中が一目を置いていると思う。最初に言及していたオリジナルの展開はどうするの?

C:拡大していくつもり。さりげなくも、ディテールに気を配った『UNION』らしいクラシカルなアイテム展開でね。完璧な世界であれば、俺たちにできることはブランドをキュレーションすることだけで、『UNION』は常に新進気鋭な若手デザイナーのためのマーケットプレイスでありたいと思っている。でも、彼らも成長していつかは若手ではなくなり、確立された存在になる。そうして、俺たちはブランドを手放すんだ。例えば、<WTAPS>。彼らはもう確立されてしまった。でも、俺は今でも<WTAPS>を信じているし、テツ(西山徹)のデザインが大好きだから、次の展開も見てみたい。ハイ&ローのバランスが取れていれば、好きなブランドがどう舵を取ってもそれに対応することができるだろ?彼のブランドを15年以上も取り扱ってきたことを誇りに思っているけど、それと同時に新しい商品も見てみたいんだ。俺たちは、その時々でエクスクルーシブなものを取り扱ってきたけど、今の時代にそれは不可能になった。Instagramやオンラインストアを問わず、誰でも、いつでも、欲しいものなら何でも手に入れられるし、即日発送にも対応している世の中だ。だから、俺たちはストーリーを提供しようとしている。俺たちのストーリーとは何か、それは俺たちが常に取り組んできたことに他ならない。新しいことではなく、それをリブートしたようなものになるのかな。少し前にも最新コレクションを発表したけど、それに対しても良い反響をもらっているんだ。

だから、質問の答えは一つじゃないのかな。アイデアを含め様々なエッセンスの集合体のようなものだから。俺たちは自ら商品を作ることで、若くて勢いのあるデザイナーにも目を向けることができる。それと並行して、『UNION』のブランディングを高め、共にキャリアを築き上げた老舗ブランドをサポートし、共に活動していくことも継続するよ。特に、原宿を本拠地とするようなブランドは、常に成長し進化してきた。これこそ、俺が日本のブランドを高く評価しているポイントなんだ。だから、彼らは設立から15年、20年が経過した現在でも最先端を走っている。アメリカのブランドは時に停滞したり、ある場所に収まってしまうからね。


野村訓市(以下、K):COVID-19を経て、ハイ&ローのミックスやプライスは変化し、それを逆手に取って成功したブランドもあれば、大きなダメージを被ったブランドもあると思う。きっと『UNION』もパンデミックを経験して大きく成長したと思うし、40周年に向けて明確なビジョンができたんじゃない?『UNION』として、ストリートウェアに特化したローカルのショップとして、今後はどんな方向性を考えてる?

Chris Gibbs(以下、C):『UNION』は、常に複数のことを同時並行してきた。もちろん、良い時も悪い時もあるさ。俺たちは自分たちで製品を作り、コラボレーションすることで成長してきたけど、ブランドから仕入れたものをファンに提供することで、オリジナルをより多くの人に知ってもらうキッカケ作りができる。さっきも言ったけど、『UNION』は初めから、ハイからロー、そしてその間に存在するものも全て取り扱っている。俺たちが30年も続いている理由の一つは、常にハイ&ローのバランスを保ってきたからだと思う。そうじゃないか?もし、安い商品しか取り扱いがなく、ロープライスのものに飽きが来たら、俺たちは廃業してしまう。逆もまた然りで、高額商品のみを販売しても、時の流れに逆らえないときがやってくる。だから、俺たちはどんなときでも、絶妙なバランス感を保っているんだ。メゾンブランドがやっているような大袈裟なファッションシューティングはしない。それを30年間続けている。ロサンゼルスでもこんな話しをたくさんしているし、東京でもこの話題になる。さっきはPoggy(小木基史)と話したんだけど、彼から日本の新鋭ブランドについての印象を聞かれたけど、これこそ俺の楽しみのひとつだよ。俺たちが求めているのは、新しい世代がどんな人たちなのかということ。30年間の道のりは素晴らしかったけど、これからの10年をどう過ごすかを想像すると興奮するし、期待もしている。新しいデザイン、新しいアイデア、新しいストーリーが待っているんだ。人々は製品を買うのではなく、ストーリーを買うんだよ。Eddieが俺を助けてくれたように、俺も次の世代に手を差し伸べたいと思っている。

K:プラットフォームとしての『UNION』の立ち位置は、世界中が一目を置いていると思う。最初に言及していたオリジナルの展開はどうするの?

C:拡大していくつもり。さりげなくも、ディテールに気を配った『UNION』らしいクラシカルなアイテム展開でね。完璧な世界であれば、俺たちにできることはブランドをキュレーションすることだけで、『UNION』は常に新進気鋭な若手デザイナーのためのマーケットプレイスでありたいと思っている。でも、彼らも成長していつかは若手ではなくなり、確立された存在になる。そうして、俺たちはブランドを手放すんだ。例えば、<WTAPS>。彼らはもう確立されてしまった。でも、俺は今でも<WTAPS>を信じているし、テツ(西山徹)のデザインが大好きだから、次の展開も見てみたい。ハイ&ローのバランスが取れていれば、好きなブランドがどう舵を取ってもそれに対応することができるだろ?彼のブランドを15年以上も取り扱ってきたことを誇りに思っているけど、それと同時に新しい商品も見てみたいんだ。俺たちは、その時々でエクスクルーシブなものを取り扱ってきたけど、今の時代にそれは不可能になった。Instagramやオンラインストアを問わず、誰でも、いつでも、欲しいものなら何でも手に入れられるし、即日発送にも対応している世の中だ。だから、俺たちはストーリーを提供しようとしている。俺たちのストーリーとは何か、それは俺たちが常に取り組んできたことに他ならない。新しいことではなく、それをリブートしたようなものになるのかな。少し前にも最新コレクションを発表したけど、それに対しても良い反響をもらっているんだ。

だから、質問の答えは一つじゃないのかな。アイデアを含め様々なエッセンスの集合体のようなものだから。俺たちは自ら商品を作ることで、若くて勢いのあるデザイナーにも目を向けることができる。それと並行して、『UNION』のブランディングを高め、共にキャリアを築き上げた老舗ブランドをサポートし、共に活動していくことも継続するよ。特に、原宿を本拠地とするようなブランドは、常に成長し進化してきた。これこそ、俺が日本のブランドを高く評価しているポイントなんだ。だから、彼らは設立から15年、20年が経過した現在でも最先端を走っている。アメリカのブランドは時に停滞したり、ある場所に収まってしまうからね。




UNION ORIGINAL 22 SPRING COLLECTION


K:そうだね。ブランドごと売却してしまうこともあるし。それにしても、『UNION』のJordanシリーズは、本当に大きな成功を収めたね。今では多くのブランドやアカウントが<Nike>とコラボレーションしているけど、スニーカーショップに陳列された『UNION』のシューズは、キッズたちの憧れの存在だと思う。『UNION』のコラボスニーカーには、何か芯を感じるし、一目で『UNION』のものだと理解できる。Chrisたちは、どんなコンセプトや哲学を持って、シューズデザインと向き合っているの?

C:どうだろうな、いい質問だね。僕たちのコンセプトは、過剰なデザインをしないこと、かな。俺は日本的なデザイン、つまりクラシックなものに微妙なひねりを加えたり、ディテールにこだわる手法に強くインスパイアされている。だから、スニーカーも同様のアプローチだった。過剰なデザインもしないし、クレイジーなこともしない。クラシックに繊細な変更を加えるんだ。

K:俺はスニーカーたるもの、毎日履けるようなデザインでないといけないと思うんだけど、どう?あるスニーカーはとても派手で、それが魅力的に映ることもある。でも、一回履いたらデイリーユースでないことに気が付くんだよね。

C:俺も派手なネオンライトを身につけるようなスタイルは好まない。だから、製作の背景には実現しなかったバージョンもあるんだ。それでも、俺は恵まれているし、俺たちがやってきたことは上手くいっているような気がする。正直でオーガニックなストーリーを語っているから、俺たちがどのようにデザインをしていて、デザインの背後にある意図もファンが評価してくれる。「なぁ、みんな!これを見てくれ!」と声を大にしなくても、ファンが俺たちのやろうとしていることを理解してくれるから、できる限り、それを続けていきたいと思っている。LAでは普段からあまり外出しないんだけど、COVID-19の期間中は外出するたびに『UNION』のシューズを見かけたね。特別クレイジーなデザインでもないけど、自惚れてもいないから、その理由を語るのは難しい。強いて言うなら、“ゴルディロックス”ということかな。過熱もせず冷え込みもしない、適温のアイテムなんだと思う。

K:最終的には履きこなせることが、本当に何よりも重要なんだよね。スニーカーを何足持っているかなんて自慢話はどうでもいい。カッコいいと思って購入しても、実際は履かずに、転売する奴もいる。でも、一部のスニーカーはそれがコラボであっても、極めて履くことが自然に見える。

C:それが俺たちの目標。5年前に<Nike>とのコラボが一大ブームを巻き起こした。どの靴かは言わないけど、俺もそのうちの一足を手に入れたし、その靴が大好きなんだ。もちろん、Virgil Ablohのシューズも買ったことがあるし、その時は「今まで見た靴の中で一番ヤバい」と思ったよ。デザインは非の打ちどころがなく、どこか気品もあって、お気に入りだった。でも、『UNION』の看板としてパリに向かう途中の出来事で印象的な記憶があって。花の都では、どこの誰よりも着飾ってなくちゃいけないし、そのために靴を何足も持っていかなければならない。いざスーツケースにシューズを詰め込んで、ロスから飛行機に乗ろうとしたときのことだった。みんな、俺のお気に入りの靴を履いていたんだ。だから、その靴は俺のスーツケースから出ることはなかった。みんなと同じになりたくなかったんだ。わかるだろ?帰宅後は車を修理する時や、家事やゴミ捨てのときに履いて、ボロボロになるまで履き込んだ。今日履いているTom Sachsのモデルもそう。ペンキがついてるからね。

K:そうだね。ブランドごと売却してしまうこともあるし。それにしても、『UNION』のJordanシリーズは、本当に大きな成功を収めたね。今では多くのブランドやアカウントが<Nike>とコラボレーションしているけど、スニーカーショップに陳列された『UNION』のシューズは、キッズたちの憧れの存在だと思う。『UNION』のコラボスニーカーには、何か芯を感じるし、一目で『UNION』のものだと理解できる。Chrisたちは、どんなコンセプトや哲学を持って、シューズデザインと向き合っているの?

C:どうだろうな、いい質問だね。僕たちのコンセプトは、過剰なデザインをしないこと、かな。俺は日本的なデザイン、つまりクラシックなものに微妙なひねりを加えたり、ディテールにこだわる手法に強くインスパイアされている。だから、スニーカーも同様のアプローチだった。過剰なデザインもしないし、クレイジーなこともしない。クラシックに繊細な変更を加えるんだ。

K:俺はスニーカーたるもの、毎日履けるようなデザインでないといけないと思うんだけど、どう?あるスニーカーはとても派手で、それが魅力的に映ることもある。でも、一回履いたらデイリーユースでないことに気が付くんだよね。

C:俺も派手なネオンライトを身につけるようなスタイルは好まない。だから、製作の背景には実現しなかったバージョンもあるんだ。それでも、俺は恵まれているし、俺たちがやってきたことは上手くいっているような気がする。正直でオーガニックなストーリーを語っているから、俺たちがどのようにデザインをしていて、デザインの背後にある意図もファンが評価してくれる。「なぁ、みんな!これを見てくれ!」と声を大にしなくても、ファンが俺たちのやろうとしていることを理解してくれるから、できる限り、それを続けていきたいと思っている。LAでは普段からあまり外出しないんだけど、COVID-19の期間中は外出するたびに『UNION』のシューズを見かけたね。特別クレイジーなデザインでもないけど、自惚れてもいないから、その理由を語るのは難しい。強いて言うなら、“ゴルディロックス”ということかな。過熱もせず冷え込みもしない、適温のアイテムなんだと思う。

K:最終的には履きこなせることが、本当に何よりも重要なんだよね。スニーカーを何足持っているかなんて自慢話はどうでもいい。カッコいいと思って購入しても、実際は履かずに、転売する奴もいる。でも、一部のスニーカーはそれがコラボであっても、極めて履くことが自然に見える。

C:それが俺たちの目標。5年前に<Nike>とのコラボが一大ブームを巻き起こした。どの靴かは言わないけど、俺もそのうちの一足を手に入れたし、その靴が大好きなんだ。もちろん、Virgil Ablohのシューズも買ったことがあるし、その時は「今まで見た靴の中で一番ヤバい」と思ったよ。デザインは非の打ちどころがなく、どこか気品もあって、お気に入りだった。でも、『UNION』の看板としてパリに向かう途中の出来事で印象的な記憶があって。花の都では、どこの誰よりも着飾ってなくちゃいけないし、そのために靴を何足も持っていかなければならない。いざスーツケースにシューズを詰め込んで、ロスから飛行機に乗ろうとしたときのことだった。みんな、俺のお気に入りの靴を履いていたんだ。だから、その靴は俺のスーツケースから出ることはなかった。みんなと同じになりたくなかったんだ。わかるだろ?帰宅後は車を修理する時や、家事やゴミ捨てのときに履いて、ボロボロになるまで履き込んだ。今日履いているTom Sachsのモデルもそう。ペンキがついてるからね。



K:Tomの靴は、ピンピンで履くようなものじゃなくて、本来はこうあるべきだと思う。

C:そう。でも、スニーカーを箱から出したばかりのような人たちが大半。

K:靴は靴であって、履かないとね。 Tomに言っておくよ。 『UNION』は、今年も何か大きなリリースを予定してる?

C:去年は30周年を記念して、狂ったようにリリースをしていたから、今年の後半は少しダウンタイムに突入しようと思っている。でも、実は年内にスニーカーはまだリリースの予定が残ってるんだ。まだ公表できないんだけどね・・(耳打ち)

K:なるほどね、俺もこのシューズは大好き。LAのスニーカーと言えば、このモデルだよね。Eazy-Eをはじめ、OGのLAギャングがよく履いていたよね。

C:その後の今年の下半期は一息つこうかなと。俺もスタッフも、もう1年以上ノンストップで働き続けているからね。休暇も取らないと。それから、来年早々には色々なことに取り掛かる予定なんだ。今も来年秋のコラボレーションに向けて動いているけど、2つのエキサイティングなプロジェクトがある。ひとつは、ここ日本の大阪に新店舗をオープンすること。すごくワクワクしている。そして、同じ場所ではないけど、ニューヨークにも出店を計画しているんだ。

K:最高じゃん。ホームカミングだね。ニューヨークは『UNION』の大切な歴史の一部だし、ちょうどいい頃かもね。

C:昨夏の<Stussy>を含め、俺たちは小さなポップアップをいくつか開催して、ニューヨークではDunkを発表した。これらはある種のテストのようなもので、僕らがカムバックするべきかの指標となったんだ。幸いにも、いい評判を得られたと思う。秋か冬に中期的なポップアップを開催するつもりで、それが最後のテストになるのかな。

K:Shawnとも話すといいよ。グラフィックを作ってもらって。

C:いいね。Gioといい、今日はKunから良いアイデアをもらってばかりだな。

K:それこそ、Gioはニューヨークのショップと相性が良さそう。ニューヨークのスカイラインのドローイングとか見てみたいけどね。

C:コレクションをデザインする前に、1シーズンに1回、こういうインタビューを開催したいね。

K:俺は、Chrisは生地にこだわるかと思っていたけど、グラフィックを視覚的な言語としているよね。さっき言っていた<PROJECT DRAGON>もいいな。とっくに終わったプロジェクトだけどさ。

C:実は、将来的には何かひとつに束ねることができたらと思っている。もちろん、あくまで空想の段階だけど、<PROJECT DRAGON>ができたら最高だね。

K:<PROJECT DRAGON>に限らず、最後に『UNION』が、かつてそこにいた人たち全員を呼び戻すようなプロジェクトか。

C:面白いね。FuturaとStashとBlueだから、色々と気をつけないと(笑)。でも、Blueは亡くなってしまったからな……。だから、彼らは賛成しないかもね。

K:リメイクみたいな感じでもいいんじゃないかな。俺は、今のニューヨークにブルーのことを知ってもらいたいよ。

C:俺もそう思う。Kunは本当にアイデアマンだな。

K:だから、俺はまだ生き残ってるんだよ(笑)。Chris、今日はありがとう。久しぶりに話せてよかった。

C:こちらこそ。最高の再会だったよ。

GET MORE INFO DOWNLOAD APP

KNOW THE LEDGE / MUSIC BREAK - JOHN CARROLL KIRBY

KNOW THE LEDGE / MUSIC BREAK - JOHN CARROLL KIRBY

2022.05.26

NEEDLES / UNION 2022 SPRING COLLECTION

NEEDLES / UNION 2022 SPRING COLLECTION

2022.05.16