KNOW THE LEDGE / INTERVIEW WITH *Better With Age

KNOW THE LEDGE / INTERVIEW WITH *Better With Age

LAの新鋭ブランド「*Better With Age」を主宰するレミー・ミッチマンは、高騰を続ける現代のヴィンテージ市場を語るうえでは欠かせない、新世代のグローバルキーマンの1人である。

東海岸のストリートカルチャーに揉まれて感性を磨き、わずか10歳にしてヴィンテージ収集を開始。高校生の頃に立ち上げたショップ『Lost 'N Found Vintaged』は、高感度なハンドピックと優れた審美眼で瞬く間に信頼を獲得し、Instagramでヴィンテージを取り扱うパイオニアとなった。

彼が手がける「*Better With Age」は、ヴィンテージへ対する膨大な理解力とパンク精神を共存させながら、ストーリー性を持たせた1点モノのアイテムを展開。オンラインに登場したアイテムは即座に誰かのもとへと飛び立ち、ページにはSOLD OUTの文字だけが並ぶ。

『UNION TOKYO』のエディトリアル“Brand Features”の最新回では、そんなフロリダが生んだ才能のアイデンティティやルーツを紐解く。



ー「*Better With Age」について深掘りする前に、レミーのルーツを教えてください。中学生の頃はスニーカーハスラーで、「Nike」のヴィンテージスニーカーに夢中だったそうですね。
僕は、フロリダ州南部の大西洋に面したブロワード郡で育ったんだ。最新のスニーカーやギアを持っている友人たちに囲まれて、学校やスケートパークに通っていた。当時からヒップホップには莫大な影響力があって、リモコンの主導権を握れるようになると、テレビでラッパーのスタイルを研究しはじめた。僕は自由に最新のものを手に入れられる環境ではなかったけど、両親が僕のセンスを養ってくれて、フリーマーケットやガレージセールで“良いモノ”を見つける術を教えてくれたんだ。その僕にとっての“良いモノ”とは、多くの場合、スニーカーだったんだよ。

ー大切にしていた最初のスニーカーは何でしたか?
“良いモノ”を手にいれるのは一筋縄ではないかないし、色々な創意工夫が必要だったね。初めてのJordanは、近所に住む年上の友人から譲り受けた2001年発売の『Air Jordan 3 “True Blue”』だった。ただ、2サイズくらい小さくて(笑)。それでも、僕は一晩中そのスニーカーを綺麗に磨いて、傷を慎重に塗りつぶし、なるべく伸ばしてフィットさせようと努力したよ。結果として、その作戦は上手くいかなかったんだけど、それでも一年中、大切に履いていた記憶があるな。
本格的にファッションに興味を持つようになったのは、中学生だね。新品のジョーダンは手が届かなかったから、15ドルを握りしめてスワップショップに行き、中古のJordanを手に入れては売ったり、履いては交換したりを繰り返していた。 14歳にもなると、「Dunkxchange(通称DXC、ストリートウェアのコンベンション)」で『Dunk SB』やヴィンテージのJordanをテーブルいっぱいに並べて販売していたな。買い付けや、シューズケアを含め、その頃にはすでにヴィンテージを囲んで作業することに夢中だった。それ以来、僕はずっとこの調子だよ。

ー「Nike」は『UNION』にとっても欠かせないファミリーです。難題かもしれませんが、レミーにとって「Nike」のスニーカー歴代トップ3を教えてもらえますか?
困ったな、思い出が詰まったスニーカーがありすぎるよ。そうだな……。まずは王道だけど、1985年モデルの『Air Jordan 1』。カラーは“Chicago”か、“Blue Metallic”。次は、第一世代の「Nike ACG」から『Air Mowabb “Brown/Purple』。最後の一足は、2002〜2007年リリースの『Dunk SB Low』にするよ。ただ、“Heineken”、“MEDICOM TOY”、“De La Soul”とか名作揃いだから、カラーは勘弁してもらっていいかな(笑)。



ーそこから『Lost 'N Found Vintage』を開業するわけですが、当時の経験を振り返ってもらえますか?
友だちと『Lost 'N Found Vintaged』を立ち上げたのは、僕にとってファッションの世界での最初のセミプロ経験だった。より大規模なスケールでヴィンテージを販売する過程で、人がどのようにショッピングをするか、なぜそれらに惹かれるのか、消費者がモノの価値をどのように捉えるのか、製品を小さな世界にどのように織り交ぜるのかなど、さまざまな事柄に本気で向き合うことができた。子どものころから夢中なことではあったとはいえ、実体験に代わるものはないからね。
僕は10歳にして、馬鹿げた量のヴィンテージアパレルとスニーカーを溜め込みはじめたんだ。フリーマーケットも週末の家族行事から、友人との習慣に変わっていった。僕らは他のスニーカーコミュニティが大きな興味を抱くようになる1年以上前から、ヴィンテージTシャツやスナップバックに目をつけた。学校ではパックパックを販売し、コンベンションにもヴィンテージTシャツを持ち込んでいた。この頃、僕は自分と同様にハッスルしていた友人と手を組み、僕らのコレクションの中から厳選した最高なアイテムだけをキュレーションし、Instagramでストアをオープンしたんだ。これが『Lost 'N Found Vintage』の始まりだよ。
2011年のことだけど、その時点では当時のアクションがその後の僕のキャリアにどれだけ大きな影響を与えるかは全く理解していなかったな。『Lost 'N Found Vintage』のInstagramアカウントの初期の投稿まで遡れば、駆け出しの僕のぎこちないマーケティングスタイルが見れるから、よかったらチェックしてみてね(笑)。最初の2年間でInstagramのフォロワーは2万人に成長し、マイマミでは月に一度、ポップアップを開催して、オンラインとオフラインの両方で顧客を獲得した。商品に物語や思い出が付随していることを実感する人がいかに多いのかを肌身をもって体感する経験になったよ。

ー『Lost 'N Found Vintage』を経て、なぜ「Better With Age」を設立することになったのでしょう?
『Lost 'N Found』が軌道に乗り、安定したビジネスになった頃には、単純に洋服を販売するだけでは満足できなくなったんだ。デニムやTシャツをカスタマイズしたり、リメイクして評判を獲得している友だちがいて、僕もよりクリエイティブな側面から洋服やシューズを作りたいと夢見ていた。
転機になったのは、LAの某ファッションブランドでインターンする機会に恵まれたことだね。コーヒーを取りに行ったり、たわいもない仕事をしながら、デザインチームを追いかけたよ。彼らがPhotoshopやIllustratorで何をしているのかを観察し、リアルなモックアップの作り方を教えてもらおうと思ってね。僕の脳内には10年分のデザインアイデアがあったから、具現化するために必要なのはツールだけだった。最終的にデザインプロジェクトの手伝いを頼まれるようになったけど、誰かのビジョンの枠内で働くのは僕に向いてなかった。
ブランドのアイデアはみるみると僕の中で成長していき、新品のブランクボディの代わりに、ヴィンテージTシャツをベースにしようと考えるようになったんだ。『Lost 'N Found』が僕にヴィンテージ市場が着実に成長していることを教えてくれたから、一歩踏み込んで、僕が愛する全ての要素を組み合わせる絶好の機会だと感じたよ。すべてが一致し、理にかなった瞬間は鮮明に覚えています。「*Better With Age」という名前は、その感覚を具現化している。自然に浮かんできたにもかかわらず、あまりにも完璧にフィットしたんだ。



ー「*Better With Age」のブランドコンセプトを聞かせてください。
「*Better With Age」は、僕自身と共に成長し、成熟してきたことから、型やルールに囚われない価値観の探求を心がけている。僕は、誰もが心の中にパンクな部分を持っていると信じていて。声の大小に問わず、ルールを破るとどうなるかを知りたがっているはずなんだ。なぜ、そのルールが存在するのか、そのルールは実際は何の価値もないでっち上げなのではないか。僕はいつも声を大にして叫んできた。「*Better With Age」が高級市場に参入したことで、僕はこのジャンルの境界線やルールを破るために試行錯誤できる良いポジションにいると感じているよ。
子供の頃、父がフリーマーケットで交渉する姿を見ていたときから、価値は興味深い概念だった。僕がスニーカーやヴィンテージを売買する過程で、僕らがアイテムの価値をどこで、どのように認識しているのかに着目してきた。価値とは、ストーリーや個人との繋がりから生まれることが最も多い。「*Better With Age」の洋服や生地は、独自のストーリーと共に僕らの手元にやってくる。それらが僕たちの元を去る前に、そのストーリーを少しでも拡張したいというのが僕の意図であって、最終的な持ち主がその中に少しでも自分自身を見出し、次の語り部になってくれることを願っている。たとえ同じデザインであっても、2つとして同じものはないよね。僕らが服に込めた歴史的で、芸術的な要素に、個人的な関連性を加えることこそが、このブランドのすべてなんだ。

ー「*Better With Age」のコレクションは、パンクや構築的なエッセンスが見て取れます。これらのデザインは、どのような経験や興味の分野がインスピレーションになっているのでしょうか?
僕が魅力的に思うすべてのアーティストたち、そして特別なインパクトを与えた彼らの作品の多くは、破壊的で、矛盾に満ち溢れ、反抗的だった。大抵の場合、彼らの作品は初めは“アート”とさえ見なされなかったけど、後にひとつのムーブメントを定義するようになった。僕の最初のアート体験は、ブロワードのいたるところに描かれたグラフィティに夢中になったこと。周囲の大人たちは、あるべきではない場所に描かれたり、アートのあるべき姿と見なされなかったグラフィティを毛嫌いしているとすぐに理解した。でも、それが僕にはとても刺激的だったんだ。大人になる過程で、同じようなエネルギーを感じるパンクロックに出会った。セックス・ピストルズの短命なキャリアや、マルコムXとヴィヴィアン・ウェストウッドが70年代に洋服で表現したことを研究した。古典的なパンクの美学という意味ではなく、今でもパンクに打ち込んでいるブランドはたくさんある。僕のデザインが偏向的で、一部の人に不快感を与えるものでなければ、僕にとっては面白くないものなんだ。アートの名言のひとつで僕が好きなのは、セザール・クルス(※ギャングによる暴力防止の提唱者。ハーバード大学の教育リーダーシップ・プログラムで博士号を取得した最初のメキシコ系移民)のこの言葉だ。「芸術は乱れた人を慰め、快適な人を乱すものでなければならない」。

ー「*Better With Age」の大切な一面であるサステナブルは、業界のスローガンとして位置付けられています。ファッションの環境負荷を減らすために、とりわけ影響の大きいビッグカンパニーには何が求められるのでしょうか?
新製品を販売する会社が環境問題に効果的に取り組むためには、サステナブルな活動が真のコアバリューとして存在しなければならない。正直なところ、僕はサステナブルブランドを作ろうと思ってはじめたのではなく、ヴィンテージが好きだという愛情の副産物だった。
僕は自身に課せられた制限の中で働く方が、よりクリエイティブに感じられるんだ。もし、太陽の下に存在するあらゆる新素材で好きなものを作れるとしたら、それ以上に感動的なことはないよ。その代わりに、倉庫に眠って忘れ去られたお婆ちゃんの古いキルトの山を見つけて、「悔しいけど、これで最高にクレイジーなパンツを作ってやる」って思うんだ。そして、そのキルトが高級店で数千ドルで販売されていると知ると、不思議と幸せを感じる。
僕らは、自分たちをサステナブルやエコフレンドリーなブランドとして売り出してはいない。持続可能性に依存することで、市場で際立った存在になることもないだろうね。まずは良い芸術作品を生み出し、物語を作ることに集中している。ただ、製品が本質的にサステイナブルであるという事実は、環境に優しいアイテムを身につけることを好む人たちにとって素晴らしい意味合いを持つはずです。



ー近年、ヴィンテージウェアの高騰が止まりません。10年後、ヴィンテージの市場はどのように変化、成長していると予想しますか?
僕の立場から見ると、ヴィンテージの未来には興奮しかないよ。扉は開かれていて、大衆から受け入れられている。ヴィンテージと共存して先駆的なブランドのひとつになることがクールだったけれど、新しいデザイナーやブランドにも許容されて、この分野が成長していくことを期待している。トレンドは自然と移り変わるし、再販されるヴィンテージアイテムの種類も、時代とともに変化し続けるだろうね。ラップTシャツや「Carhartt」に限らず、世の中はもっと膨大な熱量を秘めている。ほとんどの人はまだ表面をなぞっただけで、時間が経てば経つほど、再発見されるのを待ち望んでいる多様なヴィンテージの素晴らしさや風合いに興味を持ち、センスを磨く人が増えていくはずだよ。時代を絶えず旅して、さまざまなスタイルを創造できる未来を想像するだけで、僕は大きな解放感を感じるんだ。

ー最後に「*Better With Age」の展望を聞かせてください。
ほとんどは秘密にしておかないといけないんだ。でも、僕らは数年後まで、広範囲にアイデアを進行しており、とにかく興奮している。楽しみに待っていてほしいな。

LAの新鋭ブランド「*Better With Age」を主宰するレミー・ミッチマンは、高騰を続ける現代のヴィンテージ市場を語るうえでは欠かせない、新世代のグローバルキーマンの1人である。

東海岸のストリートカルチャーに揉まれて感性を磨き、わずか10歳にしてヴィンテージ収集を開始。高校生の頃に立ち上げたショップ『Lost 'N Found Vintaged』は、高感度なハンドピックと優れた審美眼で瞬く間に信頼を獲得し、Instagramでヴィンテージを取り扱うパイオニアとなった。

彼が手がける「*Better With Age」は、ヴィンテージへ対する膨大な理解力とパンク精神を共存させながら、ストーリー性を持たせた1点モノのアイテムを展開。オンラインに登場したアイテムは即座に誰かのもとへと飛び立ち、ページにはSOLD OUTの文字だけが並ぶ。

『UNION TOKYO』のエディトリアル“Brand Features”の最新回では、そんなフロリダが生んだ才能のアイデンティティやルーツを紐解く。



ー「*Better With Age」について深掘りする前に、レミーのルーツを教えてください。中学生の頃はスニーカーハスラーで、「Nike」のヴィンテージスニーカーに夢中だったそうですね。
僕は、フロリダ州南部の大西洋に面したブロワード郡で育ったんだ。最新のスニーカーやギアを持っている友人たちに囲まれて、学校やスケートパークに通っていた。当時からヒップホップには莫大な影響力があって、リモコンの主導権を握れるようになると、テレビでラッパーのスタイルを研究しはじめた。僕は自由に最新のものを手に入れられる環境ではなかったけど、両親が僕のセンスを養ってくれて、フリーマーケットやガレージセールで“良いモノ”を見つける術を教えてくれたんだ。その僕にとっての“良いモノ”とは、多くの場合、スニーカーだったんだよ。

ー大切にしていた最初のスニーカーは何でしたか?
“良いモノ”を手にいれるのは一筋縄ではないかないし、色々な創意工夫が必要だったね。初めてのJordanは、近所に住む年上の友人から譲り受けた2001年発売の『Air Jordan 3 “True Blue”』だった。ただ、2サイズくらい小さくて(笑)。それでも、僕は一晩中そのスニーカーを綺麗に磨いて、傷を慎重に塗りつぶし、なるべく伸ばしてフィットさせようと努力したよ。結果として、その作戦は上手くいかなかったんだけど、それでも一年中、大切に履いていた記憶があるな。
本格的にファッションに興味を持つようになったのは、中学生だね。新品のジョーダンは手が届かなかったから、15ドルを握りしめてスワップショップに行き、中古のJordanを手に入れては売ったり、履いては交換したりを繰り返していた。 14歳にもなると、「Dunkxchange(通称DXC、ストリートウェアのコンベンション)」で『Dunk SB』やヴィンテージのJordanをテーブルいっぱいに並べて販売していたな。買い付けや、シューズケアを含め、その頃にはすでにヴィンテージを囲んで作業することに夢中だった。それ以来、僕はずっとこの調子だよ。

ー「Nike」は『UNION』にとっても欠かせないファミリーです。難題かもしれませんが、レミーにとって「Nike」のスニーカー歴代トップ3を教えてもらえますか?
困ったな、思い出が詰まったスニーカーがありすぎるよ。そうだな……。まずは王道だけど、1985年モデルの『Air Jordan 1』。カラーは“Chicago”か、“Blue Metallic”。次は、第一世代の「Nike ACG」から『Air Mowabb “Brown/Purple』。最後の一足は、2002〜2007年リリースの『Dunk SB Low』にするよ。ただ、“Heineken”、“MEDICOM TOY”、“De La Soul”とか名作揃いだから、カラーは勘弁してもらっていいかな(笑)。



ーそこから『Lost 'N Found Vintage』を開業するわけですが、当時の経験を振り返ってもらえますか?
友だちと『Lost 'N Found Vintaged』を立ち上げたのは、僕にとってファッションの世界での最初のセミプロ経験だった。より大規模なスケールでヴィンテージを販売する過程で、人がどのようにショッピングをするか、なぜそれらに惹かれるのか、消費者がモノの価値をどのように捉えるのか、製品を小さな世界にどのように織り交ぜるのかなど、さまざまな事柄に本気で向き合うことができた。子どものころから夢中なことではあったとはいえ、実体験に代わるものはないからね。
僕は10歳にして、馬鹿げた量のヴィンテージアパレルとスニーカーを溜め込みはじめたんだ。フリーマーケットも週末の家族行事から、友人との習慣に変わっていった。僕らは他のスニーカーコミュニティが大きな興味を抱くようになる1年以上前から、ヴィンテージTシャツやスナップバックに目をつけた。学校ではパックパックを販売し、コンベンションにもヴィンテージTシャツを持ち込んでいた。この頃、僕は自分と同様にハッスルしていた友人と手を組み、僕らのコレクションの中から厳選した最高なアイテムだけをキュレーションし、Instagramでストアをオープンしたんだ。これが『Lost 'N Found Vintage』の始まりだよ。
2011年のことだけど、その時点では当時のアクションがその後の僕のキャリアにどれだけ大きな影響を与えるかは全く理解していなかったな。『Lost 'N Found Vintage』のInstagramアカウントの初期の投稿まで遡れば、駆け出しの僕のぎこちないマーケティングスタイルが見れるから、よかったらチェックしてみてね(笑)。最初の2年間でInstagramのフォロワーは2万人に成長し、マイマミでは月に一度、ポップアップを開催して、オンラインとオフラインの両方で顧客を獲得した。商品に物語や思い出が付随していることを実感する人がいかに多いのかを肌身をもって体感する経験になったよ。

ー『Lost 'N Found Vintage』を経て、なぜ「Better With Age」を設立することになったのでしょう?
『Lost 'N Found』が軌道に乗り、安定したビジネスになった頃には、単純に洋服を販売するだけでは満足できなくなったんだ。デニムやTシャツをカスタマイズしたり、リメイクして評判を獲得している友だちがいて、僕もよりクリエイティブな側面から洋服やシューズを作りたいと夢見ていた。
転機になったのは、LAの某ファッションブランドでインターンする機会に恵まれたことだね。コーヒーを取りに行ったり、たわいもない仕事をしながら、デザインチームを追いかけたよ。彼らがPhotoshopやIllustratorで何をしているのかを観察し、リアルなモックアップの作り方を教えてもらおうと思ってね。僕の脳内には10年分のデザインアイデアがあったから、具現化するために必要なのはツールだけだった。最終的にデザインプロジェクトの手伝いを頼まれるようになったけど、誰かのビジョンの枠内で働くのは僕に向いてなかった。
ブランドのアイデアはみるみると僕の中で成長していき、新品のブランクボディの代わりに、ヴィンテージTシャツをベースにしようと考えるようになったんだ。『Lost 'N Found』が僕にヴィンテージ市場が着実に成長していることを教えてくれたから、一歩踏み込んで、僕が愛する全ての要素を組み合わせる絶好の機会だと感じたよ。すべてが一致し、理にかなった瞬間は鮮明に覚えています。「*Better With Age」という名前は、その感覚を具現化している。自然に浮かんできたにもかかわらず、あまりにも完璧にフィットしたんだ。



ー「*Better With Age」のブランドコンセプトを聞かせてください。
「*Better With Age」は、僕自身と共に成長し、成熟してきたことから、型やルールに囚われない価値観の探求を心がけている。僕は、誰もが心の中にパンクな部分を持っていると信じていて。声の大小に問わず、ルールを破るとどうなるかを知りたがっているはずなんだ。なぜ、そのルールが存在するのか、そのルールは実際は何の価値もないでっち上げなのではないか。僕はいつも声を大にして叫んできた。「*Better With Age」が高級市場に参入したことで、僕はこのジャンルの境界線やルールを破るために試行錯誤できる良いポジションにいると感じているよ。
子供の頃、父がフリーマーケットで交渉する姿を見ていたときから、価値は興味深い概念だった。僕がスニーカーやヴィンテージを売買する過程で、僕らがアイテムの価値をどこで、どのように認識しているのかに着目してきた。価値とは、ストーリーや個人との繋がりから生まれることが最も多い。「*Better With Age」の洋服や生地は、独自のストーリーと共に僕らの手元にやってくる。それらが僕たちの元を去る前に、そのストーリーを少しでも拡張したいというのが僕の意図であって、最終的な持ち主がその中に少しでも自分自身を見出し、次の語り部になってくれることを願っている。たとえ同じデザインであっても、2つとして同じものはないよね。僕らが服に込めた歴史的で、芸術的な要素に、個人的な関連性を加えることこそが、このブランドのすべてなんだ。

ー「*Better With Age」のコレクションは、パンクや構築的なエッセンスが見て取れます。これらのデザインは、どのような経験や興味の分野がインスピレーションになっているのでしょうか?
僕が魅力的に思うすべてのアーティストたち、そして特別なインパクトを与えた彼らの作品の多くは、破壊的で、矛盾に満ち溢れ、反抗的だった。大抵の場合、彼らの作品は初めは“アート”とさえ見なされなかったけど、後にひとつのムーブメントを定義するようになった。僕の最初のアート体験は、ブロワードのいたるところに描かれたグラフィティに夢中になったこと。周囲の大人たちは、あるべきではない場所に描かれたり、アートのあるべき姿と見なされなかったグラフィティを毛嫌いしているとすぐに理解した。でも、それが僕にはとても刺激的だったんだ。大人になる過程で、同じようなエネルギーを感じるパンクロックに出会った。セックス・ピストルズの短命なキャリアや、マルコムXとヴィヴィアン・ウェストウッドが70年代に洋服で表現したことを研究した。古典的なパンクの美学という意味ではなく、今でもパンクに打ち込んでいるブランドはたくさんある。僕のデザインが偏向的で、一部の人に不快感を与えるものでなければ、僕にとっては面白くないものなんだ。アートの名言のひとつで僕が好きなのは、セザール・クルス(※ギャングによる暴力防止の提唱者。ハーバード大学の教育リーダーシップ・プログラムで博士号を取得した最初のメキシコ系移民)のこの言葉だ。「芸術は乱れた人を慰め、快適な人を乱すものでなければならない」。

ー「*Better With Age」の大切な一面であるサステナブルは、業界のスローガンとして位置付けられています。ファッションの環境負荷を減らすために、とりわけ影響の大きいビッグカンパニーには何が求められるのでしょうか?
新製品を販売する会社が環境問題に効果的に取り組むためには、サステナブルな活動が真のコアバリューとして存在しなければならない。正直なところ、僕はサステナブルブランドを作ろうと思ってはじめたのではなく、ヴィンテージが好きだという愛情の副産物だった。
僕は自身に課せられた制限の中で働く方が、よりクリエイティブに感じられるんだ。もし、太陽の下に存在するあらゆる新素材で好きなものを作れるとしたら、それ以上に感動的なことはないよ。その代わりに、倉庫に眠って忘れ去られたお婆ちゃんの古いキルトの山を見つけて、「悔しいけど、これで最高にクレイジーなパンツを作ってやる」って思うんだ。そして、そのキルトが高級店で数千ドルで販売されていると知ると、不思議と幸せを感じる。
僕らは、自分たちをサステナブルやエコフレンドリーなブランドとして売り出してはいない。持続可能性に依存することで、市場で際立った存在になることもないだろうね。まずは良い芸術作品を生み出し、物語を作ることに集中している。ただ、製品が本質的にサステイナブルであるという事実は、環境に優しいアイテムを身につけることを好む人たちにとって素晴らしい意味合いを持つはずです。



ー近年、ヴィンテージウェアの高騰が止まりません。10年後、ヴィンテージの市場はどのように変化、成長していると予想しますか?
僕の立場から見ると、ヴィンテージの未来には興奮しかないよ。扉は開かれていて、大衆から受け入れられている。ヴィンテージと共存して先駆的なブランドのひとつになることがクールだったけれど、新しいデザイナーやブランドにも許容されて、この分野が成長していくことを期待している。トレンドは自然と移り変わるし、再販されるヴィンテージアイテムの種類も、時代とともに変化し続けるだろうね。ラップTシャツや「Carhartt」に限らず、世の中はもっと膨大な熱量を秘めている。ほとんどの人はまだ表面をなぞっただけで、時間が経てば経つほど、再発見されるのを待ち望んでいる多様なヴィンテージの素晴らしさや風合いに興味を持ち、センスを磨く人が増えていくはずだよ。時代を絶えず旅して、さまざまなスタイルを創造できる未来を想像するだけで、僕は大きな解放感を感じるんだ。

ー最後に「*Better With Age」の展望を聞かせてください。
ほとんどは秘密にしておかないといけないんだ。でも、僕らは数年後まで、広範囲にアイデアを進行しており、とにかく興奮している。楽しみに待っていてほしいな。

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