Epi.03 NIKE LD-1000
時代のニーズに応えた 異端のエポックメイク
NIKEのランニングの歴史は約50年前に始まっている。常に革新的なテクノロジーを生み出すためにアイデアを磨いてきた日々の積み重ねが、現代における厚底ブームを作り出したともいえる。私たちが日常のファッションに、そして日々のランニングに履いているNIKEのシューズがどう生まれ、進化し、その系譜を辿っていたか。今回はその初期といえる1970年代の名品にフォーカスしてストーリーを掘り下げてみたい。Epi 03は1976年誕生の「LD-1000」。
Photograph:Keita Goto[W] Text:Masayuki Ozawa Production:MANUSKRIPT
Special Thanks : Karimoku, Commons Tokyo / wagetsu わ月
1975年にベトナム戦争が終結し、アメリカは長く続いた暗い時代を抜けた。政治不信に揺れた国民たちの関心は、自分たちの心身の健やかさへと移り、体を動かすこと、太陽の光を浴びることを求めるようになった。1970年代のランニングブームは、こうしたアメリカの自己肯定感によって生まれた。それまでは陸上競技に没入する、一部のアスリートのためだった「走ること」が、国民的なムーブメントへと広がった。渦中の需要をとらえたNIKEは以後、急成長していった。
そうしたブームの中で持久力や脂肪燃焼効果を高めるために、ゆっくりとしたペースで長い距離を走るLSD(ロングスローディスタンス)が浸透した。そうした中で1976年に誕生したモデルが「LD-1000」である。「LD」はロングディスタンスの略であり、年間に1000マイル走るランナーのために開発された。アッパーとソールの双方に革新をもたらし、後の名作「LDV」へとつながる布石となった本作は、70年代のNIKEを象徴するエポックとして、ヴィンテージ市場でも強い存在感を放っている。
当時、長距離ランナーを悩ませたのは足のマメだった。シューズと足の摩擦が熱を生み、さらに運動による体温上昇によって皮膚が柔らかくなり、水脹れを起こす。それがマメができるメカニズムだ。70年代のスポーツメーカーは、放熱性を高めるためにアッパーにナイロン素材を使い始めたが、「LD-1000」はさらにナイロンをメッシュで編み立てることで通気性を高めた最初のシューズだった。加えて耐久性にも優れていたことも人気を博した理由だ。
そして後ろから見ると際立つのが、末広がりなフレアソールである。これは広がったヒールが着地の安定性を高めることで脚へのトルクを軽減し、膝への圧力を減らし、足首の捻れや腱炎といったランニング疾患のリスクを低下させる狙いがあった。創業者のフィル・ナイトはその大胆なソールを「ある角度からみるとウォータースキーのようにも見えた」とユニークに例えたという。
実際には走行中にふくらはぎの内側を擦ってしまうトラブルが頻発し、軽さも求める意味でも、この広がった部分を削るランナーもいたという。ソール面積が広すぎて、正しく着地できない場合に足の捻れや膝のトラブルを誘発すると判断したNIKEは、安全性を理由にリコールを決断。ソールの形状を元に戻し、理想的な形状の追求へと舵を切った。こうした経緯が翌年に「LD-1000V」というヴェクターラストの改良版が誕生する。進化点も改善点も目立ったシューズだが、日本製の精微なつくりはハイクオリティと評された。
リコールに際し、NIKEはランナーからの批判を覚悟していたものの、寄せられたのは賞賛の声だった。成功と失敗は紙一重であり、新しいものを求めた行動による結果であれば、それは賞賛すべきものだ。ナイトも「文学の天才による小説のように完璧にまとまらなかった」と言いつつも、成功へのプロセスと捉えていた。「LD-1000」は、アメリカの時代背景が作り上げたLSDブームに応えようとした結晶である。いまもヴィンテージが愛され、不定期でありながら復刻のたびに人気を博しているのは、進化過程にある異端なデザインとNIKEのチャレンジ精神が息づいているからだろう。
Epi.03 NIKE LD-1000
時代のニーズに応えた 異端のエポックメイク
NIKEのランニングの歴史は約50年前に始まっている。常に革新的なテクノロジーを生み出すためにアイデアを磨いてきた日々の積み重ねが、現代における厚底ブームを作り出したともいえる。私たちが日常のファッションに、そして日々のランニングに履いているNIKEのシューズがどう生まれ、進化し、その系譜を辿っていたか。今回はその初期といえる1970年代の名品にフォーカスしてストーリーを掘り下げてみたい。Epi 03は1976年誕生の「LD-1000」。
Photograph:Keita Goto[W] Text:Masayuki Ozawa Production:MANUSKRIPT
Special Thanks : Karimoku, Commons Tokyo / wagetsu わ月
1975年にベトナム戦争が終結し、アメリカは長く続いた暗い時代を抜けた。政治不信に揺れた国民たちの関心は、自分たちの心身の健やかさへと移り、体を動かすこと、太陽の光を浴びることを求めるようになった。1970年代のランニングブームは、こうしたアメリカの自己肯定感によって生まれた。それまでは陸上競技に没入する、一部のアスリートのためだった「走ること」が、国民的なムーブメントへと広がった。渦中の需要をとらえたNIKEは以後、急成長していった。
そうしたブームの中で持久力や脂肪燃焼効果を高めるために、ゆっくりとしたペースで長い距離を走るLSD(ロングスローディスタンス)が浸透した。そうした中で1976年に誕生したモデルが「LD-1000」である。「LD」はロングディスタンスの略であり、年間に1000マイル走るランナーのために開発された。アッパーとソールの双方に革新をもたらし、後の名作「LDV」へとつながる布石となった本作は、70年代のNIKEを象徴するエポックとして、ヴィンテージ市場でも強い存在感を放っている。
当時、長距離ランナーを悩ませたのは足のマメだった。シューズと足の摩擦が熱を生み、さらに運動による体温上昇によって皮膚が柔らかくなり、水脹れを起こす。それがマメができるメカニズムだ。70年代のスポーツメーカーは、放熱性を高めるためにアッパーにナイロン素材を使い始めたが、「LD-1000」はさらにナイロンをメッシュで編み立てることで通気性を高めた最初のシューズだった。加えて耐久性にも優れていたことも人気を博した理由だ。
そして後ろから見ると際立つのが、末広がりなフレアソールである。これは広がったヒールが着地の安定性を高めることで脚へのトルクを軽減し、膝への圧力を減らし、足首の捻れや腱炎といったランニング疾患のリスクを低下させる狙いがあった。創業者のフィル・ナイトはその大胆なソールを「ある角度からみるとウォータースキーのようにも見えた」とユニークに例えたという。
実際には走行中にふくらはぎの内側を擦ってしまうトラブルが頻発し、軽さも求める意味でも、この広がった部分を削るランナーもいたという。ソール面積が広すぎて、正しく着地できない場合に足の捻れや膝のトラブルを誘発すると判断したNIKEは、安全性を理由にリコールを決断。ソールの形状を元に戻し、理想的な形状の追求へと舵を切った。こうした経緯が翌年に「LD-1000V」というヴェクターラストの改良版が誕生する。進化点も改善点も目立ったシューズだが、日本製の精微なつくりはハイクオリティと評された。
リコールに際し、NIKEはランナーからの批判を覚悟していたものの、寄せられたのは賞賛の声だった。成功と失敗は紙一重であり、新しいものを求めた行動による結果であれば、それは賞賛すべきものだ。ナイトも「文学の天才による小説のように完璧にまとまらなかった」と言いつつも、成功へのプロセスと捉えていた。「LD-1000」は、アメリカの時代背景が作り上げたLSDブームに応えようとした結晶である。いまもヴィンテージが愛され、不定期でありながら復刻のたびに人気を博しているのは、進化過程にある異端なデザインとNIKEのチャレンジ精神が息づいているからだろう。