トップランナーやプロフェッショナルは総じて、仕事や趣味・偏愛に独特の厚みが存在する。本稿で第3回を迎える特集“Tools Tour”は、その人自身を投影する仕事道具やコレクションに着目し、クリエイティブに生きるうえでのヒントやカルチャーに一層踏み込むキッカケを探る編集企画である。
ヒップホップとそれを取り巻く文化や社会をリアルに描く人気漫画『少年イン・ザ・フッド』の作者として知られるSITE(サイト)は、ストリートをホームグラウンドに発展してきたカルチャーについて日本随一の知識量を有する正真正銘の文化人である。
その博識ぶりには、全てをリアルタイムで経験してきたOGでさえも一目置くほど。それでいながらグラフィティライター、ラッパー、映像監督、文筆家など、プレーヤーとしての肩書きまでも考慮すると、“ヒップホップ何でも屋”と称する以外に相応しい表現は見当たらない。
同氏の青春を束ねた珠玉のコレクションは、まるでストリートカルチャーの縮図のよう。見覚えのある懐かしのガジェットから知る人ぞ知るアート本まで、Ghetto Hollywoodのストーリーを読み終えた頃には、好奇心が湧き出ていることだろう。
PanasonicのShock Waveは昔も全く同じデザインのものを持っていました。ソニスポ(SONY SPORTS)は、高校生の頃に一緒にラップやっていた相方が持っていて、憧れていましたね。『少年イン・ザ・フッド』の表紙にこれらのデバイスを掲載したのは、作品が96年のことを描いていると表現したかったから。あと、連載が始まる直前の2019年に僕も所属してるクルーSDPを作ったKANEくん、 AMESの3人で開催したグラフィティの展示タイトルも“Shock Wave”だったんですよね。語呂的にNew Waveのようなイメージもできるし、世代を総称するワードとしてこの言葉を採用した記憶があります。
ヒップホップの入り口を話すと、中学1年の頃にRUN DMCとSex Pistolsのベストを買って、どちらにハマるかの分岐点があって。パンクやPISTOLSは今でも好きなんですがそこでRUN DMCを聴いたときに感動的にしっくりきて、「何かヤベェな。これっぽいわ」と思いながら、よくわからないまま部屋で一日中手を交互に出して「Yo! Yo!」とかやってました(笑)。その僕が最もハマったMIXTAPEが、 Juice Crewに所属していたBiz Markie(ビズ・マーキー)の『Classic Cuts Theory Of Old School』と、現代に続くミックステープのスタイルの祖 でもあるKid Capri(キッド・カプリ)の『Old School Theory』。僕らはこれでオールディーズというか、 70年代のSoulなど、あっちの人たちにとっての懐メロを覚えました。『STILL DIGGINʼ』とかCISCO坂の路上でやってた『Up Stair Tapes』とか、DJのMAKI&TAIKIさんがいたDJ's CChoiceなど、色んなお店を回ってましたね。でも、最近のアーティストも普通に聴きますよ。
グラフィティに辿り着いたキッカケもヒップホップからで、 そもそも90年代の中盤くらいまでヒップホ ップは、グラフィティなど周辺カルチャーも含んだ総称という認識でした。元々絵を描くのが得意だったので、それっぽい絵はずっと描いていたんですけど、高校3年時の予備校で本物のグラフィティライターに出会って。それが さっきもちょっと話したSDPの創設者でもあるKANEくん。最初はタグネームの存在も知らなかったし、桜木町とかでガチガチに描いている人たちのアルバムをごっそり見せてくれたときは衝撃でした。
高校卒業した後は桑沢デザイン研究所っていう原宿にある専門学校に通ってたんですが、実際の学舎は『TOWER RECORDS』内に併設されている『TOWER BOOKS』です。村田さんっていうバイヤーの方がスケートやグラフィティ、カルチャーに特化した本を独自のルートで買い付けていて、そこで毎日立ち読みをしてたおかげで知識の幅が広がりました。あと5Fにあった松永耕一さん(スマーフ男組,COMPUMA)がキュレーションしている通称“松永コーナー”のこと、覚えている人いるかな。細野晴臣さんも常連だったらしいんですけど、タワレコと『パルコブックセンター』、『青山ブックセンター』が自分の図書館でしたね。
『少年イン・ザ・フッド』の5巻の最後の方にも登場する『Street Writers』は、アメリカ初のチカーノグラフィティ写真集です。ニューヨークのグラフィティは、フィラデルフィアが発祥。でも、これはチカーノのギャングが起源。第二次世界大戦の頃、ズートスーツを着たメキシコ系アメリカ人は当時“パチ ューコ”と呼ばれていて、彼らが海兵と揉めたことで暴動が起きていました。海兵はパチューコのバリオ(コミュニティや居住区の意)に容赦なく攻め込んでくるのですが、そのときにパチューコたちが団結してチーム名を描くようになったプラカが、LAグラフィティのルーツなんです。そのプラカを発展させて自分の名前を壁に書き始めたLAで最初のグラフィティライターがCHAZなんです。個人の 競争が東海岸のグラフィティのルーツだとしたら、西海岸は徒党を組むようなギャングカルチャーから始まったと言えばわかりやすいでしょうか。それに付随するものとして、当時のチカーノたちが聴いていたのが、(グループショットの)右上にあるコンピレーション『EAST SIDE STORY』に収録されているスイートソウルです。
だから、僕がスケートカルチャーを追いかけるようになるのは、後発のこと。ヒップホップって、 特に最近は金持ち風に盛ったりするハイプな文化じゃないですか。一方で、スケートビデオは何回も失敗してても写ってるのは全部リアルな自分の実力だし、行動力があってリスクを冒す習慣があるから、グラフィティの世界から見たらスケーターの方がリアルだし身近なんですよ。それに気付いてからはスケートビデオも収集するようになりました。あと、70年代から若者のリアルな姿をドキュメントしてるラリー・クラーク4冊目の写真集『The Perfect Childhood』の構成は素晴らしい。彼が監督した映画『KIDS』は写真集とスケートビデオを融合したものだから、90年代中盤のNYっていう時代背景も相まって生々しさも頂点を極めてる。僕は結局あのジャンルで『KIDS』を超える作品は未だ誕生していないと思うんです。
世の中、詳しい人は上がいますが、“好き”って順位をつけられないじゃないですか。だから、僕は子供の頃から何かを1番好きというポジションだけは死守しようと思って、今日に至ります。ヒップホップ業界で発言権を得れたのも、グラフィティやパンクから仕入れたリアルさをアピールしたから。そんなことを30年やっていたら、ヒップホップで食べていけるようになりました(笑)
*今回の企画に合わせてSITE氏が描き下ろしたFRONT MAN
SITE @ghettohollywood
”ゲットー・ハリウッド ’79年生まれ。’98年からSITE名義でグラフィティライターとしての活動を始める。Ghetto Hollywood名義で、ラッパーの楽曲を中心に多数のMVも手がける。ラップグループSD JUNKSTAにも所属”
トップランナーやプロフェッショナルは総じて、仕事や趣味・偏愛に独特の厚みが存在する。本稿で第3回を迎える特集“Tools Tour”は、その人自身を投影する仕事道具やコレクションに着目し、クリエイティブに生きるうえでのヒントやカルチャーに一層踏み込むキッカケを探る編集企画である。
ヒップホップとそれを取り巻く文化や社会をリアルに描く人気漫画『少年イン・ザ・フッド』の作者として知られるSITE(サイト)は、ストリートをホームグラウンドに発展してきたカルチャーについて日本随一の知識量を有する正真正銘の文化人である。
その博識ぶりには、全てをリアルタイムで経験してきたOGでさえも一目置くほど。それでいながらグラフィティライター、ラッパー、映像監督、文筆家など、プレーヤーとしての肩書きまでも考慮すると、“ヒップホップ何でも屋”と称する以外に相応しい表現は見当たらない。
同氏の青春を束ねた珠玉のコレクションは、まるでストリートカルチャーの縮図のよう。見覚えのある懐かしのガジェットから知る人ぞ知るアート本まで、Ghetto Hollywoodのストーリーを読み終えた頃には、好奇心が湧き出ていることだろう。
PanasonicのShock Waveは昔も全く同じデザインのものを持っていました。ソニスポ(SONY SPORTS)は、高校生の頃に一緒にラップやっていた相方が持っていて、憧れていましたね。『少年イン・ザ・フッド』の表紙にこれらのデバイスを掲載したのは、作品が96年のことを描いていると表現したかったから。あと、連載が始まる直前の2019年に僕も所属してるクルーSDPを作ったKANEくん、 AMESの3人で開催したグラフィティの展示タイトルも“Shock Wave”だったんですよね。語呂的にNew Waveのようなイメージもできるし、世代を総称するワードとしてこの言葉を採用した記憶があります。
ヒップホップの入り口を話すと、中学1年の頃にRUN DMCとSex Pistolsのベストを買って、どちらにハマるかの分岐点があって。パンクやPISTOLSは今でも好きなんですがそこでRUN DMCを聴いたときに感動的にしっくりきて、「何かヤベェな。これっぽいわ」と思いながら、よくわからないまま部屋で一日中手を交互に出して「Yo! Yo!」とかやってました(笑)。その僕が最もハマったMIXTAPEが、 Juice Crewに所属していたBiz Markie(ビズ・マーキー)の『Classic Cuts Theory Of Old School』と、現代に続くミックステープのスタイルの祖 でもあるKid Capri(キッド・カプリ)の『Old School Theory』。僕らはこれでオールディーズというか、 70年代のSoulなど、あっちの人たちにとっての懐メロを覚えました。『STILL DIGGINʼ』とかCISCO坂の路上でやってた『Up Stair Tapes』とか、DJのMAKI&TAIKIさんがいたDJ's CChoiceなど、色んなお店を回ってましたね。でも、最近のアーティストも普通に聴きますよ。
グラフィティに辿り着いたキッカケもヒップホップからで、 そもそも90年代の中盤くらいまでヒップホ ップは、グラフィティなど周辺カルチャーも含んだ総称という認識でした。元々絵を描くのが得意だったので、それっぽい絵はずっと描いていたんですけど、高校3年時の予備校で本物のグラフィティライターに出会って。それが さっきもちょっと話したSDPの創設者でもあるKANEくん。最初はタグネームの存在も知らなかったし、桜木町とかでガチガチに描いている人たちのアルバムをごっそり見せてくれたときは衝撃でした。
高校卒業した後は桑沢デザイン研究所っていう原宿にある専門学校に通ってたんですが、実際の学舎は『TOWER RECORDS』内に併設されている『TOWER BOOKS』です。村田さんっていうバイヤーの方がスケートやグラフィティ、カルチャーに特化した本を独自のルートで買い付けていて、そこで毎日立ち読みをしてたおかげで知識の幅が広がりました。あと5Fにあった松永耕一さん(スマーフ男組,COMPUMA)がキュレーションしている通称“松永コーナー”のこと、覚えている人いるかな。細野晴臣さんも常連だったらしいんですけど、タワレコと『パルコブックセンター』、『青山ブックセンター』が自分の図書館でしたね。
『少年イン・ザ・フッド』の5巻の最後の方にも登場する『Street Writers』は、アメリカ初のチカーノグラフィティ写真集です。ニューヨークのグラフィティは、フィラデルフィアが発祥。でも、これはチカーノのギャングが起源。第二次世界大戦の頃、ズートスーツを着たメキシコ系アメリカ人は当時“パチ ューコ”と呼ばれていて、彼らが海兵と揉めたことで暴動が起きていました。海兵はパチューコのバリオ(コミュニティや居住区の意)に容赦なく攻め込んでくるのですが、そのときにパチューコたちが団結してチーム名を描くようになったプラカが、LAグラフィティのルーツなんです。そのプラカを発展させて自分の名前を壁に書き始めたLAで最初のグラフィティライターがCHAZなんです。個人の 競争が東海岸のグラフィティのルーツだとしたら、西海岸は徒党を組むようなギャングカルチャーから始まったと言えばわかりやすいでしょうか。それに付随するものとして、当時のチカーノたちが聴いていたのが、(グループショットの)右上にあるコンピレーション『EAST SIDE STORY』に収録されているスイートソウルです。
だから、僕がスケートカルチャーを追いかけるようになるのは、後発のこと。ヒップホップって、 特に最近は金持ち風に盛ったりするハイプな文化じゃないですか。一方で、スケートビデオは何回も失敗してても写ってるのは全部リアルな自分の実力だし、行動力があってリスクを冒す習慣があるから、グラフィティの世界から見たらスケーターの方がリアルだし身近なんですよ。それに気付いてからはスケートビデオも収集するようになりました。あと、70年代から若者のリアルな姿をドキュメントしてるラリー・クラーク4冊目の写真集『The Perfect Childhood』の構成は素晴らしい。彼が監督した映画『KIDS』は写真集とスケートビデオを融合したものだから、90年代中盤のNYっていう時代背景も相まって生々しさも頂点を極めてる。僕は結局あのジャンルで『KIDS』を超える作品は未だ誕生していないと思うんです。
世の中、詳しい人は上がいますが、“好き”って順位をつけられないじゃないですか。だから、僕は子供の頃から何かを1番好きというポジションだけは死守しようと思って、今日に至ります。ヒップホップ業界で発言権を得れたのも、グラフィティやパンクから仕入れたリアルさをアピールしたから。そんなことを30年やっていたら、ヒップホップで食べていけるようになりました(笑)
*今回の企画に合わせてSITE氏が描き下ろしたFRONT MAN
SITE @ghettohollywood
”ゲットー・ハリウッド ’79年生まれ。’98年からSITE名義でグラフィティライターとしての活動を始める。Ghetto Hollywood名義で、ラッパーの楽曲を中心に多数のMVも手がける。ラップグループSD JUNKSTAにも所属”